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コメントのお返事 [コメント欄の質問の答え]

とある774さんへ
私は小さい頃孔子の論語を読んだり
小学校の頃無謀にも方法序説を読んだり
していまいたが
そういう哲学的な本、生きる上での教訓が書かれた本というのは
一般的に敷居が高いと思います。
かなり勉強を進めないと理解できるようにはなりませんし
そういう本をわざわざ読む人というのは
あまりいないのが現状だと思います。
その点
名言というのは短く、
読む人にとって考える題材としては
手軽だと思います。
そういう意味で私は名言を載せています。
まあ、書くことがないときに書いているという裏事情もありますが(笑)
その名言をその人が実際に言ったかどうかわからない
というご指摘ですが
私はそれはそれでいいと思っています。
私は基本的に作品と作者は分けて考えています。
私は三島由紀夫の小説が好きですが
三島由紀夫自体を好きだと思ったことはありません。
同様にグレングールドがひくバッハが私は最高に好きですが
グレングールド自体もバッハ自体もそれほど好きではありません。
作品は好きなものが多いですが。
ですから名言も誰がどう言ったか
というのは私たちにとっては重要ではないと考えています。
勿論、歴史家やその研究者にとっては重要なことなのでしょうが
私は自分が一回きりの人生を生きていく中で
何かしらのヒントや考え方を名言自体から学んで色々考えられれば
それでよし、と思っています。
文学作品や論文についても同様です。
私はソクラテスが好きですが、実際にソクラテスが書いた本はなく
全てがプラトンによって書かれた伝聞に過ぎません。
もしかしたらソクラテスは諸々のことを何一つ実際は言っていない
可能性すらあるわけです。
しかし、私はその事実確認は歴史家の人に任せ
自分は自分にプラスになる部分を「作品」から吸収していこうと思っています。
私が載せている名言も本当は誰が言ったとか、本当の意味だとかは
どうでもいいと思っています。
その言葉を読んだ人がどう受け取ってもいいんです。
何かで活きることもあれば、何も役に立たないこともあると思います。
それは読んだ人に丸投げです。それでいいと思って載せています。
はい、それではハイデガーの存在と時間を読みましょう!
と言っても読んでくれる人、そこから自分に大切な何かを見つけ出せる人は
稀有な存在ですので、短い名言から何かを汲み取ってほしいんです。

バイト家庭教師鈴木さんへ
生徒の伸びは全く予想できません。
あることとあることが分かった時にパズルが解けたようにできるように
なる生徒もいますが
基本的にはじわじわと様々な考えかたができるようになってきたときに
力がついたと言えると思います。
どの瞬間にそうなったのか、明確な境界線はわかりません。
境界線が分からないので伸びも予想できないんです。
勿論、暗記モノは全部憶えてアウトプットが自在にできるようになった時
だとは思いますが。その時期を予想するのも実際は難しいです。

基礎物教授さんへ
一瞬で計算できる積み木問題というのはパターン化されています。
上から見たら見える新たな面は常に同じ数になっています。
八段まであったとしたら例えば新しく上から見えている数は6だとすると
一段目6個
二段目一段目に隠れている6個+新しい6個
三段目二段目までに隠れている6+6に新しい6個
…という風に
6+12+18+…と等差数列になっています。
これは八段の場合6×(1+2+3+…+8)で
6×36=216個となります。
瞬時に解く解き方は一番上の段の見えている数を数え6
段数が八段なら1+2+3+…+8=36
これをかけるだけです。
1+2+3+…+8は等差数列の和の公式を使えばいいですが
クイズマニアの人は1~10くらいまでの和は憶えてしまっています。
1+2+…+5=15のように。
暗算力に優れた人なら2秒くらいで解ける問題だと思います。

気になる子さんへ
これは非常に難しい、今回の質問で一番の難問です。
…というのは指導を始めて二か月くらいしないと
その生徒の諸々の実力はわかりません。
…がその二か月間私が既に授業をやってしまっていますので
初期状態がどんな状態だったかというのは
本当はよくわかりません。
私は点数や偏差値で考えることはほとんどしません。
偏差値はその受けた模試だけで意味をなす数字ですし…。
大体どんなレベルであっても二年あれば
理科三類以外の東大というのは合格できると思います。
勿論必要最小限の暗記力、計算力、やる気と継続力は必要ですが。
頭の良し悪しよりも継続してしっかり勉強できるかという
性格的な問題の方が非常に大きいと思います。
ある程度、普通の能力があれば東大には誰でも合格できますが
二年間しっかり勉強できる継続力と忍耐力がないと
どうにもなりません。
受験の合否は頭の良し悪しよりも、しっかりやるべきことが
できるかという方が影響が大きいように思います。
その継続力と忍耐力はどうつけるか
これは難しい問題です。
一つの答えとしましては私は勉強を「習慣化」するまで
日々繰り返すということだと思っていますが
他にもきっと答えは沢山あるのだと思います。
これについては現時点の私ではこれ以上お返事できません。

しばらく
コメントの質問には答えられないかもしれません。
忙しすぎてブログを書く時間もままならないからです。
それではまた明日[手(パー)]

コメントのお返事 [コメント欄の質問の答え]

今日は家を出るまでに少し時間がありますので
コメントを頂いたお返事をさらっと書いてみたいと思います。
順番は逆になりますが遡る形で書きます。

いち塾講師さんへ
集団授業の時は準備にほとんど時間がかかりませんので
睡眠時間を削ることはありませんでした。
家庭教師ですと生徒も小学生~社会人でそれぞれ
受験校も何もかもバラバラなので準備自体に必然的に
時間がかかります。
ですから集団授業の時は優雅な暮らしをしていたと思います。
ただ、やはり体力的には集団授業は疲れます。
ずっと立ちっぱなしですし。
体力的につらくて倒れたり
やめたりする同僚の先生もいました。
体力回復のために睡眠はよく取った方がいいと思います。
まあ今の私も椎間板ヘルニアで基本的に立っていますので
同じようなものなのですが(笑)
私の場合、寝ないことを美学にしているわけでも何でもなく
ただ何だか25歳くらいから、あまり眠れなくなり眠らなくても
何の支障もなくなっただけでして…
特に意識的に眠らないようにしているわけではなく
自分に快適な生活を追及していたら今の平衡点に至っただけなんです。
本当は眠りたいんです。
よ~し、今日はお休みだ~朝まで死ぬほど眠ってやる~と思って
眠っても大抵三時間ちょっとで
その後二度寝をしようとは思わないくらい
すっきり起きてしまいますし
そうすると時間がもったいないので仕事を始め
そうするともう眠くはならないのです。
何かの具合で眠い時疲れた時は、30分くらいのお昼寝をするようには
しています。

プロカテキョさんへ
難しいご質問です。私の方がキャリアも少ないですし
おっしゃっている通りだと思われます。
パソコンやスマホの問題はこれから本当に大変になってきますね。
学校等でも紙の教科書をやめタブレット型端末で勉強をするにようになってくる
のだと思いますが、私はあまりそれは個人的には良くないと思っています。
便利ですし、生まれつきタブレットで育てば違和感なく受け入れられるのだと
思いますが、数学や物理の数式等
私は紙でないとまったく頭にイメージが浮かんできません。
なんだか目も疲れそうですし…。昭和の人間だからですかね(笑)
授業中に眠ってしまう生徒というのは基本的には「受験に対しての意識」が薄いのだと
思います。眠いから眠るというのは生理的には当たり前のことですが
受験や何か人生の大切な行事がある場合は普通は眠りません。
気合いをいれれば眠気くらい吹っ飛びます。
その気合いを入れられない、いれたくないというのは本人にとって
受験がさして重要ではないという現れだと私は思っています。
受験に対しての優先順位が生徒の中で低いんです。
絶対に受かるんだ、負けたくないという気持ちが強い生徒には
当然眠る生徒はいませんし、私の経験でも当然
そういう生徒の方が合格する率が高いと思います。
何も授業中に眠らなくても、他に眠る時間はいくらでもあるだろうと
私も思います。本質的には何故眠るのか私にも理解はし兼ねます。
この改善策は当然、本人の意識を高めることなんですが
これは学力をつけさせるよりも遥かに難しいです。
周りから言われたやる気というのは一瞬は燃え上がりますが
継続できずすぐにボロがでます。
自分で灯した火でないと継続できませんし
自分でやる気にならないと絶対にうまくいかないと思います。
いつやる気になってくれるか?それは本当にわかりませんし難しいです。
私たちが出来ることは適宜色々な話をしたりして心のドアをたたき続けることですが
それを一年やっても二年やってもどうにもならないこともあります。
人生で失敗するなり大きな苦労をするなりしたときに始めて
その生徒は気付くのかもしれませんが
それだと本当は手遅れです。
でも、そういう後から気付いて後悔しながらも
少しずつ自分のやるべきことを見つけていくという人生もあると思いますので
それは仕方ないのかな、とも思います。
色々な人生経験をしていくとやっぱり勉強しておけば良かったなと
思うことが多いと思います。その経験が足りないから仕方ないという面もあるのかも
…しれませんし。人それぞれの生きる価値観にもよるのだと思います。
究極的にはそういう結論に至ります。勉強は義務ではありません。
必要な人がすることです。別に勉強をしなくても生きてはいけます。
どういう質の人生を送るか、それは究極的には個人個人の価値観よると思います。
私たちが今教える立場としてできることはとりあえずやる気がなくても、少しでも学力をつけて
その生徒がやる気になった時に困らないようにしていくことくらいなのかもしれません。
人から煽られたやる気で乗り切れるほど受験は甘くはないと思います。
ある種のむなしさを禁じ得ませんが、それが現実なのかもしれません。
何とか頑張ってくれ、と心で叫びながら
例え眼前で生徒が爆睡していても
自分としてはベストの授業をしていくしかないのだと思います。

質問の答え [コメント欄の質問の答え]

昨晩は錦織選手の試合を途中まで見たところから
記憶がありません。
どこかで意識がなくなり気が付いたら朝でした。
しかも例によって五時。
今少し仕事を終らせて、シャワーを浴びてきました。
今日はお休みなので
体力回復に努めたいです。

さて何やら
また色々と質問を受けておりますので
こういう類の記事は休みの日に書いてしまおうと思います。

航空科学山口さんへ
生徒が私の指導するカリキュラムどうりやらない
言うことを聞かない
その場合にもし合格したら
私の指導は不要だったということが証明され
自己矛盾に陥るから
そういう生徒は指導すべきではない

おっしゃる論理は
何も反論のしようのない論理展開で
まさにその通りだと思います。
実際に私の生徒の中にも
全体としては少ないですが
私が合格する方法を知っているのに
どうやれば最短距離で合格できるのかわかっているのに
何故か全く言うことを聞いてくれない生徒もいます。
半分くらい言うことを聞いてくれない生徒もいますし
言うことを聞いて頑張ってくれる生徒もいます。
それは色々です。
ただ一つ誤解されているのは
私は合理主義など標榜したことなどありません。
私が合理主義者ならば
そもそも家庭教師などやっていません(笑)
塾でもやって生徒を増やすなどした方が
よっぽど合理的で儲かりますし、
しかもこんなに休みの時間がなくなったり
プライベートタイムがなくなったりもしません。
不合理の極みが家庭教師です(笑)
また、こんなブログも書いていません(笑)
日記帳に日記でも書きます。
コメントで叩かれることも、スパムのようなふざけた
コメントに悩まされることもないですし。
私は山口さん同様科学を勉強して参りましたが
勉強すればするほど科学というものは信用ならないものだと
思いますし、気をつけなければならないと思っております。
これは以前記事に「学べば学ぶほど難しくなる」と書いたことと同じです。
科学の勉強をあまりされてない人の方が科学を信じがちだとさえ思います。
地震は何故予知できないんだとか
噴火は何故わからないんだとか
科学なら何とかなると思われる方は
科学で原理的にできることと出来ないことがあることを理解するまで
勉強が至ってないからだと私は思います。
他の分野の方もそうだと思います。
専門家の方がその専門分野の限界について詳しいと思います。
科学を勉強してくると合理主義など取りようのないことはわかりますので
私は合理主義者ではありません。

またそれに付随して勘違いされているのは
私が何のために家庭教師をやっているか?
ということだと思います。
もし
「実績を残すため、もしくは日本一の家庭教師になるため」
であれば山口さんのおっしゃる論理が成立するでしょうし
合理的に生徒を選ばない私は失敗をしていることになるでしょう。
しかし私は実績を残したいから家庭教師をやっているわけでは
断じてありません。エリートだけを選抜して東大に沢山合格者をだし
自分の家庭教師としての名声を得ようなどと考えたこともありません。
自分の人生経験として
できるだけ様々なレベルの生徒を指導し
その中で大袈裟に言えば
一人一人の頑張ってくれた生徒の人生を変えたいと思っています。
最初は全然言うことを聞かない、やる気もない生徒が
ある日からどんどん頑張ってくれるようになり
自分の夢を合格を勝ち取ってくれる
そういう人生に寄り添える方が
指導前から合格が約束されている生徒を教えるよりも
喜びが大きいことすらあります。
ですから理想はランダムに色々なレベルの層の生徒を
指導したいですし、その全員を難関校に合格させたいと思っています。
これが私の理想でやりたいことです。
合理主義とは逆です。それを御理解頂ければと思います。
勿論、私の体力や一日に回れる家庭を増やすために移動しやすさ
等でお断りせざるを得ない場合もあるのですが…

優秀な生徒ばかりを教えるというのは
読書でいうと自分の思想にあった好きな人の本ばかり読むのと同じです。
それでは何の進歩も刺激もありません。
ランダムに選んだそれぞれのレベルの生徒に最高の対応ができる
それが私が目指す家庭教師であり
そのためにはなるべく様々なレベルの生徒を教えたいと思っています……

これは
とある774さんへの
お返事にもなりますが
私は基本的にある人物をそのまま尊敬しているということはありません。
中学の頃はファインマンが好きでしたが
それは彼のアイデア、発想が好きなのであって
マンハッタン計画に参加したり、諸々の私生活まで好きなわけではありません。
ですから私がある特定の人を尊敬していたり影響を受けたりということは
あまりありません。沢山読書をして、様々な議論をその著者として
結果として今の私の考えかたになっているのだと思います。
その人のいいとこ取り読書です。
以前記事に書いたと思いますが読書はなるべく自分と反対の意見
こりゃないだろ~~~と思う人の本をわざとなるべく読むようには意識しています。
基本はランダムに立ち読みする派ですが。
昨日の立ち読みは霊魂の話でした(笑)
結局は信じろという私の一番嫌いな論理ですので
途中でやめてしまいましたが
こういう中にも結構一理ある、まともなことが書いてあることもあって
はっとさせられることがあるんです。
ですから自分の偏見にとらわれず色々読んでみるのがベストだと私は思います。
私は一番私のことを信じていませんし
一番私が駄目な人間だと思っております。
ですから毎日「善く生きる」ために必死に自分に叱咤激励をしているんです。
先ほど書いた家庭教師としての生徒の選び方も
私の本の選び方と同じなんです。
ですから出来ればランダムが理想です。
読書をしていて自分と考えが似ているな~とか思ったことはないので
そういう作家の方はいないのかもしれませんし
私がまだあってないのかも知れません。
様々な人から少しずつ影響を受けて今の私がありますので
特別「誰」というのはありません。
読書をしていて衝撃を受けたことは何度もあります。
中学一年の頃、三島由紀夫さんの「金閣寺」を読んで
文学は芸術なんだ、と初めて思いましたし
後に三島さんが16歳の時に書かれた「花ざかりの森」を読んで
天才とはこういう人のことをいい、私は到底小説家にはなれないと思いました。
まあ現在の小説はドキドキワクワク、ストーリーが楽しければOKなのですが。
芥川龍之介さんの小説にも大きな影響を受けましたし
エルデシュの数式や証明が神のように美しいと思いました……
それでも影響を受けたからその人が好きか
といえば、そうでもないんです(笑)
諸々の無数の経験を持って今の私があるのだと思います。
家庭教師の仕事もそういうスタイルでやっていきたいです。

デュワ瓶さんへ
仰ることは私も体験することもありますし
嫌だなあと思うこともあります。
本当に酷い場合は今後沢山トラブルが起こりそうなのでお断りします。
そもそも指導できる人数は限られていますし
授業や生徒以外の部分で
嫌な気持ちや面倒なことを考えたくはないからです。
しかし、本来仕事や人生は嫌なことの方が多いものだと
私は心の中である程度折り合いをつけ
よっぽど酷くない限りは特に気にしないようにはしています。
ですから、自分に対する扱いが良かろうが悪かろうが
仕事として今のやるべきことに集中しようとは思っています。
まあ…そうは言っても人間なので仰ることは分かります。
私も悲しい思いをすることもあります。
でもそれはどんな仕事でもあることだと思います。
嫌々頭を下げなければならない場合も
書かれていたような体験も
多くの方が体験されているのだと思います。
気にしない方がいいと思います。
気にしないで自分の気持ちが済まされない場合はお断りした方が
いいと思います。

リケジョさんへ
私は本当はお風呂に入りたいですが
時間等の都合でほぼ毎日シャワーです。
お風呂は年に10回も入りません。
本当はお風呂に入りたいけど
諸々の事情で嫌々シャワー派です。

以上です。
書き過ぎて疲れました[ふらふら]

質問の答え(補足) [コメント欄の質問の答え]

朝にコメントが増えておりましたので
荒れないうちに対応しておきたいと思います。
そのための連投です(笑)

家庭教師市橋さんへ

おっしゃることは重々承知しております。
私はいつも自己矛盾と葛藤し、格闘しています。

私は
本当は誤差程度の能力の差しかない
本当は環境が恵まれていただけなのに
それを自分の実力だと思ったり
大学のネームヴァリューだけで天才だと勘違いしている
ような人達は嫌いです。
しかし、私もそういう一員であり
そのネームヴァリューで仕事をさせてもらったり
予備校ですぐに就職が決まったり
その自分の忌み嫌うものによって
仕事をさせてもらっているのもまた事実です。

大学がどことか実績がどうとかではなくて
私の授業を受けてもらって
純粋に授業として評価をしてもらって
仕事を引き受けたいと常々思っております。
ですから実績も学歴も職歴も書かない。
もしくは三流のものを書いておく。
授業と指導内容だけで勝負する。
本当は私もそうありたいと思っています。
しかし…
現実的にはそれでは
生徒は集まりません…

生徒が集まらなければ
私の授業の良さも何もかも理解をして頂く
機会すらありません。

ですから
その部分は断腸の思いで、自己矛盾は重々承知でやっています。
私だけでなく他の職業でもそういう面はあると思います。
医者は患者に健康になってもらうために
医療行為をしているわけですが
全ての人が健康になってしまえば
仕事がなくなります。
警察などでも同じです。
お金を稼ぐということは周りの人の富を奪うということで
本来、そこには理想と現実のただならぬ拮抗があります。
そして
皆突き詰めれば何かしらの自己矛盾を抱えていると思います。

問題は自分の理想と現実の折り合いの付け方だと思います。
ギリギリ自分の理想をどこまで広げていけるのか
そこが勝負だと私は思っていますし
そう思わないとやっていけないのです。

自分の中の理想と現実の葛藤
これは仕事だけなくて
私の人生全てに影を落としています。
一人でも多くの生徒にいい授業をと思うなら
時給は下げた方がいいとは思いますし
究極的にはボランティアでやるべきだとも思います。
しかし、そうすると私の生活が危うくなり
私だけではなく家族にも迷惑をかけます。
自分一人の理想だけを貫くことは
私たちが社会的動物であるが故に不可能です。
常に理想と現実で私は悩んでいます。
そして
そうは思って頂けないかもしれませんが
ギリギリのラインで
自分の理想は実現しようと努力をしているんです。

集団の最大多数の幸福を目指すのか
個人個人の幸福を目指すのか
その矛盾と葛藤を哲学が描いてきたように
私も私の人生の中で
御指摘の矛盾点について格闘しています。

それでは今日も一日
いい授業をしてきたいと思います[手(パー)]

質問の答え [コメント欄の質問の答え]

頂いたコメントのお返事です。

夢は物理屋さんへ
理論物理の世界では数学の力がないと自分がやりたいことが
かなり制限されると思います。
ですから徹底的に勉強すべきだと思います。
数学は道具ですので、自分で自分の理論を
分かりやすく証明するために新しい数学を
作ることが必要になる場合もあります。
私も以前二年かけて新しい体系の数学を作り
自分の理論を綺麗に証明したことがありますが
当然ながらそれは中々他の人には理解してもらえません(笑)
ただ、自己満足度は高いです(笑)
誤解して頂きたくないのは数学というのは非常に広い世界です。
分野が違えば全く相手の研究が理解できないということがよくあります。
私はそれは好ましい状況ではないと思っていますが
有限の人生では仕方ない面もあります。
日本人で初めてフィールズ賞を受賞された
小平邦彦先生も、自分の専門以外の論文を読んでも悔しいくらいに
さっぱり分からないとおっしゃっていました。
大学くらいまでの数学は皆が共通して理解しておくべき最低の知識だと
思いますが、それ以上の数学というのは道具として使う分にも
自分の研究分野の中で必要に迫られて
そこから勉強して身につけていくものです。
大学までの勉強のように皆が学ぶ共通の知識というのは無くなります。
ですから、それ以上の世界においては
ある人の数学の勉強が進んでいるも遅れているもないんです。
皆、違う数学を勉強していくだけです。
私は何でも早ければいいというのは間違えだと思います。
忍耐強く長く質のいい研究をする方が最終的には大成すると思います。
数学オリンピックは以前にも書きましたがゲームのようなもので
大学二年生くらいまで真っ当に数学の勉強をすれば大抵の人が解ける
それほど難易度の高くない問題か、もしくはパズルのような問題しか出題されません。
出題される分野を大学二年程度まで早めに習得するという対策をとれば
いい成績が取れます。どの科学オリンピックもそうですが先取り学習が有利であること
は否めません。大学生に物理オリンピックの問題を解かせたことがありますが
まあ普通の大学生でも解けます。
そんな先取り学習を国家的にやっている国もあります。
色々と総合的に考えて私はそんなに数学オリンピックに大きな価値はないと思います。
研究とは別物です。
韓国は数学オリンピックで金メダリストを沢山だしていますが
フィールズ賞を取った人はいませんし
数学オリンピックレベル程度の難易度の低い問題で
その人の数学力を評価するのはどうかと思っています。
何でもそうなのですが
人それぞれ皆環境は違いますし、背負っているものや条件も違います。
一生の長さも違います。
ですから
人と比べて勉強が早いとか遅いというのは意味のないことだと
私は思います。
それよりも自分自身に真摯に向き合って自分のできることを精一杯
やっていけばいいと思います。
人と比較して精神的に挫折感や優越感を感じるのは全くの時間の無駄です。
これは受験でも当て嵌まります。
現役で合格した人と三浪して合格した人がいても
前者が後者より一生に渡り優れているなんていうことはありません。
数年の違いなど人生でみればほんのわずかですし
受験の時点での優劣などどうでもいいと思います。
その後の二十年、三十年で何を出来るかのほうがずっと大切です。
いい大学をでても不勉強であればどうしようもないですし
結局は今の自分に何ができるかだけに価値があるのであって
過去に何ができた云々学歴や職歴はどうでもいいと私は思っています。
英検で1級をとっても、漢検で1級をとっても
時間と共に何もしなければ必然的に人は忘れてしまいます。
その人の実力で問われるのは「今」だけであって
過去にどんな資格を取ろうが実績があろうが
「今」それができなければ意味がないと私は思います。
ですから現時点で「夢は物理屋さん」の才能があるとかないとかは分かりませんし
それで理論物理学を諦める必要はないと私は思います。
一般の数学は受験数学とは180度違いますので
その成績でどうこう考えない方がいいです。
また、仮に数学が出来ないとしても
今はできないかもしれない
それならば明日できるように今日精一杯の努力をすればいいだけです。
もし研究で必要な力があるとすれば「継続する力」だと私は思います。
理論物理を徹底的にやる覚悟があるならば
今の実力がどうあれ進んでみるべきです。
徹底的に努力をしてみるべきです。
まだ若いのですから仮に失敗しても
他の道でいくらでも取り返しはつきます。
頑張ってください[パンチ]

指導希望さんへ
②についてはそう決めたので御理解頂ければ…としか
お返事のしようがないのですが…

敢えて理由のようなものを書いてみますと
やはり家庭教師をやっておりますと
生徒だけではなく各御家庭との付き合いも長くなってきますし
そういう付き合いの中で
例えばお兄さんを教えていて弟さんの指導も頼まれた場合
お兄さんは教えるけど弟は駄目というようなことはおかしな話だと思います。
それによって諸々の人間関係もぎくしゃくしてきますし。
また実務面でも
私も慣れていて通いやすいということもありますし
それまでお金を払って頂いてきているという事実もあります。
新規を広くお引き受けしたい気持ちも強くありますが
今までの人間関係の中で頼まれればそれを最優先にしようという風に
私は決めています。
勿論色々な葛藤はありますが
私の体は一つしかありませんので
御理解頂ければと思います。

医学部受験生田中さんへ
掲載はしておりませんが何通かコメントは頂いております。

野球男さんへ
プロで活躍するためにはこれからどれだけ伸びるかということに
かかってきていると思います。
現在のままでは即戦力とはとても言えませんし
プロで通用する何かを持っているとも思えません。
私が田中英祐選手のスペックだとしたら
プロ野球には進みません。
人より圧倒的に優れている何かがないとプロではやっていけません。
ですから彼の中で革命的な何か大きな進歩がないと厳しいと思います。
最初は初対戦などでバッターが慣れてないので
抑えられるかもしれませんが
プロの世界は何度も同じ打者と対決しなければなりませんし
科学的な分析にもかけられます。
それに耐えられる何かを彼はまだ持っていないと私は思います。
もしスペック面で足りない面があっても
抜群のコントロールでもあれば配球によって勝てますので話は別ですが
現状とてもコントロールがいいと思えませんし…
これはあくまでの私の見立てです。
進学校出身なので頑張ってもらいたいとは思っていますが…
非常に過酷な世界だと思います。

書き疲れましたので今日はこの辺で
また明日[手(パー)]

質問の答え等 [コメント欄の質問の答え]

プチダノンさんへ

現在社会人の生徒が二名おります。
特に募集枠というのは決まっておりませんが
私は基本的に受験を生業にしておりますので
大体二名くらいが定員だと思っております。
勿論
空きがあればお引き受けするのは吝かではないのですが
現在一杯一杯の予定の上に
諸々の事情、個人的なしがらみのようなもので
更に生徒が増える可能性は少なからずあります。
従って
現在はこれ以上
社会人の方を見ることはできません。
年度の変わり目等に
コメントにて諸々書いて
ご連絡頂ければその都度対応致します。
大変申し訳ありません。

心配あるささんへ
僭越ながら
心配あるささんもどんどん勉強し、分野に捕らわれず知見を
広げていけば様々な考えかたができるようになると思います。
かく言う私も、実は自分自身の意見や考えを一番信じておりません。
色々な人の意見を聞いたり、思考したりしながら
今、この瞬間の意見をブログで書いているので
それは永続的に私がそう思うということではないです。
むしろ色々な勉強を新鮮な気持ちで続けていけば
考えは変わって然るべきだと私は思います。
勿論180度の振れ幅で考えがいったりきたりするのは
思慮深さにかけると思いますが
それなりに少しずつは変化していくものだと思います。
私自身も色々な本を読んだり、考えたり、生徒等と対話をすることによって
色々な影響を受け
自分自身を問い、見つめ直す毎日です。
私は考えに浅い、深い
正しい、間違えているというのは
基本的にはないものだと思っています。
ですから、心配あるささんの考えが
私の考えよりも劣っていることなど絶対にありません。
心配あるささんは、心配あるささん自身の一回きりの
人生を歩んでいる訳で
その経験によって蓄積されたものから生まれた考えは
尊敬に値するものだと私は思います。
私の考えは優れてなどいません。心からそう思います。
ただ、私の提示した意見を読まれ
心配あるさなんが御自身で何か考えるきっかけを
得られたのであれば、これに勝る喜びはありません。
これからも拙いブログですが、お付き合い頂ければ幸いです。

リケジョさんへ
コメントありがとうございます。
理系女子
素敵な響きです(笑)
理系の価値観を共有して頂けるだけで
私は幸せです。

それではまた明日[手(パー)][晴れ]

質問の答え等 [コメント欄の質問の答え]

おはようございます[晴れ]
今日も仕事なので
本当は昨晩のうちにブログを書いてしまおうと
思いましたが
帰ってきて、諸々寝支度を整えたところで
パタっと倒れるように寝てしまいました。

今日は幸い夕方から午前様までの授業ですので
午前中一杯寝てやる~~~と思ったのですが
起きてビックリ
やはり五時に起きました。
まあ正確には5時4分でしたが
怖いです。
自分の体内時計が(笑)

今日は夕方までのんびりなので色々とできます。
まあやることは山積しているので
遊ぶことはできませんが…
家庭教師をやっていると
問題を作ったり、新しい問題を解いたり
生徒の受験戦略を練ったり
自宅でやらなければならないことも多いです。

ここからコメント頂いた
同業者さんへの答えになりますが

ひとことで言うと
世の中に自分の100%思い通りになる仕事というのは
ありません。
どんな好きな仕事でも苦しいことの方が多いものです。
でも何割かのやりがいや楽しさがあるから
その仕事続けられるのだと思います。
例えば
プロ野球選手は好きでなって好きな野球をやってお金を
もらっているから幸せのように思うかもしれませんが
試合に出るための準備は非常に大変ですし
怪我に苦しむことも多いです。
好きな野球をやっていても楽しく感じることは少ないと思います。
年俸いくら貰っているから一打席いくらだとか
おかしな計算をされる場合がありますが
試合より試合の準備にかける時間も多く
そこには当たり前ですが、残業代は発生しません。
そういう時間も込みで考えると大抵の野球選手は
かなり安い時給です。
私たち家庭教師の授業も同じだと私は考えています。
授業のことだけを考えれば
一般的に言えば高い時給をもらって仕事をしているのかも
しれませんが、授業のためにやる準備等々考えると
実際は平均すると授業の二倍程度かそれ以上の時間をかけて準備をしています。
生徒が単語が勉強しにくいからテスト形式にしてくれと
頼まれれば問題集一冊、単語テストをもろもろ考えながらつくるのに
8時間程度かかったり、新しい受験校を指定されたら
その一校の過去問研究に8年分なら大学入試で30時間くらいはかかります。
そういう諸々の準備も込みでの授業料だと私は思っています。

よく
このブログで
私は家庭教師の仕事の範囲を増やし過ぎるとご批判を受けますが
それはどこまでが仕事かという
究極的には哲学の違いなので
どれだけ話し合っても話し合いは平行線に終わると思います。
大学生のアルバイトなどでもそうだと思うのですが
家庭教師は授業だけをしっかりやって
あとは自分の勉強なりサークル活動なりをする。
仕事は授業だけで後は自分の時間
そう割り切って仕事をするのも一つの考え方で
私は別にそれに対して批判をする気もないですし
自分の考えを押し付ける気もありません。

最終的には性格のちがいのようなもので
私はどんな仕事についていても
仕事の準備というのは言われなくてもすると思うのです。
私は基本的に仕事が好きなんです(笑)
まあ
でも嫌々やっている仕事に就かなければならない場合は
仕事は生活の為、後は自分の為に時間を使う
という風になるかも知れません。
そういう考えがあるのも理解はできるわけです。
でも、私ならそういう仕事には就かないと思いますが…

話は大きく逸れましたが
そんな家庭教師の仕事を愛してやまない私ですが
そんな私でもこの仕事は思い通りにはいかず
八割くらいは苦しいことです。
良いこと楽しいことは二割くらいだと思います。
ただ、正確に言うと八割の苦しみを
苦しみだとは私は特に思っていません。
こういう質問を受けるので自分なりに自分の中を整理して
皆さまに分かりやすく書く
便宜上このような答えになるのであって
実際は人生はいいこともあるけど悪いことも多いなあ
くらいの曖昧な抽象的なレベルでしかこのことについて捉えていません。
日々やることが多くて、あまりそのような感傷に浸っている暇が
ないからだけなのかもしれませんが…

頂いたコメントの後半部分の答えはこんな感じです。

前半部分ですが
私は基本的に先着順に生徒を引き受けています。
志望校レベル等によって選抜することはありません。
個人個人それぞれの目標や夢があるからです。
勿論、面談をして授業をして
しばらくして
あまりにも本人やご家庭の志望校と実力がかけ離れている場合
その場合はお断りすることもありますが…

実力と言うのはその時の偏差値ではなく
生徒の持っている諸々の力という意味です。
その生徒が私のカリキュラム通り
まともに勉強してくれたら合格できる
そういう算段が立つか否かということです。
流石にどんなに勉強しても届かないのではないかと
思いながら仕事をすることは私はできません。
そういう場合はお断りします。
それ以外は学校のレベル云々でお断りすることはありません。
ですから特別に難関志望者を優先して集めているわけではありません。
それでも実績が残せてきたのは
生徒が時には私の想像以上に頑張ってくれた結果だと思います。

質問のような生徒は
私の生徒にも大体五分五分の割合ではいます。
同じ授業料をもらってもいいのかというくらい
優秀で手のかからない、私のカリキュラムをしっかりとやってくれる
生徒もいれば
手を替え品を替えして様々な戦略をたてて
色々考えてもあまりやってくれない生徒もいます。
これは究極的には生徒との信頼関係の問題でもあるのかも知れませんが。
生徒の勉強に対する熱意だとか
受験に対する熱意が
私の想定していたものと著しく異なる場合もそれはあります。
面談の時はあんなにやる気がありそうだったのに
いざやってみると…
ということもあります。

そういう生徒を教えるモチベーションということですが
それは全ての生徒を教える際に当て嵌まることなのですが
個々の生徒の人生を自分の人生のように考えるということです。
私も予備校で働いていたからわかりますが
集団授業ではどうしても実績を残すことを求められ
全体として東大に何人合格できるか云々に興味が行きがちです。
それを一人一人しっかり見ていくと
別に東大ではなくても
各人が自分の夢、目標に向けて頑張っているわけです。
その目標が同時に家庭教師である私の夢でもあり
それを叶えようと必死で取り組むモチベーションにもなります。
やる気がなくなった生徒を教えるときもそうです。
私は自分の人生で失敗を沢山してきました。
今考えれば精神的におかしな状態の時もありました。
そんな時は誰にでもあると思います。
受験の時にやる気がないから、その生徒の人生全てにおいて
やる気がない人間だというこうとは絶対にありません。
ですから、将来のそのまともになった生徒の為に
「あの時、勉強しておけば良かったなあ」と後悔させないために
できる限りのことはしたいと思っています。
そういうモチベーションで私はやっています。
私の働きかけが生徒の何かを変える可能性もあるわけです。

勿論
それでもやってくれない生徒はいます。
本当に自分が抱えきれないと思ったときは
お断りするしかないと思います。
それが生徒の為でもあるかも知れません。
でも教えているこちら側が生徒の可能性を信じてあげられるうちは
苦しくても何でも闘い抜かなければいけないと私は思います。

質問の答えなど [コメント欄の質問の答え]

今日も午前様で
ただいま帰宅です。
正直に言って眠いです。
九月二週目から三週目までは
こんな暮らしです。
ですからあまりブログをしっかりとは書けません。
今は
九月から色々と勉強方法を生徒に変えてもらったり
授業もより実戦形式にするための準備だったり
そういう忙しさも重なってしまっている感じです。
パソコンの起動の間もササッと宿題に出した
文法問題を解かないといけないくらい時間がありません。
まあ
こういうときこそ頑張らないと駄目ですね。
生徒にもそのようなことを言っていますし
私が率先して範を垂れる
それが一番の教育だと思っています。

今日はいくつか質問に答えてしまおうと思います。

野田さんへ
好きな食べ物ということですが
これは部門によります。
お肉だったら、魚だったら、~だったら
という風に分類して頂ければ答えやすいですが
部門が違うものの中でどれが一番好きか…というのは
非常に難しいです。
その日の気分によっても
影響を受けますし…。
でも大雑把に言えば
以前にもブログで書きましたが
私は「高菜」が好きです。
漬物ではなくて炒めたものですが。
この近辺では高菜があまり売っていないので
豚骨ラーメン屋さんに
わざわざ高菜ライスを食べに行っていたくらい
高菜が好きです(笑)
お肉がなくても高菜があれば何とかなるくらい高菜が好きです。
こんな返事でよろしいでしょうか…。

特攻隊長さんへ
代々木ゼミナールの件は私も驚きました。
私が20代前半の時は勤めていた駿台がその当時は一番危なく
代々木ゼミナールが一番給料も高く好待遇だと言われていましたから。
私世代の人は皆、まさか!と思うと思います。
色々原因はあると思います。
考えられるものを列挙してみます。
①新校舎建設やサピックス買収でお金を使いすぎた。
 つまり事業を拡大しすぎた。
②代ゼミは私大文系の浪人生を中心に生徒が集まっていましたが
 日本の私大文系の半数の学部で定員割れをする時代になってきたため
 私大文系で浪人する人が減った。
  これはコメントを頂いた大学教員さんのおっしゃるのが現状なんだと思います。
 私は報道でしか知りませんが…。
  今は理系や医学部、国立重視の時代が来ていて完全に受験が二極化
  していてその受け皿に代ゼミがなれなかったということも大きいと思います。
③集団授業の限界というのも大きいです。
どこの大手予備校も塾も個人指導を併用するようになってきています。
どうしても集団授業は無駄が出てしまうので
時代と共に個人指導に移っていくというのは仕方がないことかと思います。
④東進ハイスクールの躍進というのもあります。
東進ハイスクールは講師が一度授業をしたら、それを録画して使い回し
それをDVDで見て勉強するというシステムですが
これだと大幅に人件費が削減できます。
講師の数も他の予備校より圧倒的に少ないです。
録画映像授業が主体なので
実際に行う授業数<<全体の授業数となります。
そうすると利益が上がります。
それでどこの予備校よりも宣伝が打てます。
野球の試合にまで宣伝はあります(笑)
今でしょ!を生みだしたテレビコマーシャルはあまりにも有名です。
東進ハイスクールは
どこかに校舎をたてて、DVDを一人一人が見れる環境を作れば
それで予備校の完成です。生徒は映像を見て勉強するだけです。
今まで東進ハイスクールは三大予備校つまり
河合塾、駿台、代ゼミがあまり力を入れていなかった現役生に
ターゲットを絞りやってきましたが
いよいよ浪人生にも手をだすようになってきました。
私大文系が現役指向ならば代ゼミより東進へ
ということで代ゼミの生徒が減ったということも大きいと思います。

特攻隊長さんの今後をどうすればいいか
というご質問ですが
どういう方なのかわからないので想像で勝手に書かせて頂きますが
私たちの業界というのは
もう20年以上前から少子高齢化で先細りになっていくことは目に見えていた
わけです。そうなれば当然競争は激化します。
それに勝っていくには自分自身に力をつけるしかありません。
沢山授業や指導方法を研究して誰にも負けないようにしていく
そうすればどこかで仕事が見つかるのも私たちの業界だと思います。
私自身も明日はどうなっているかは分かりません。
家庭教師という理想を掲げて毎年やっておりますが
私が実績を残せなくなって生徒が集まらなくなったら
仕方がないので嫌いな予備校に就職するしかないと思います。
まあ他の仕事をしてもいいのですが。
私は予備校講師が嫌いな理由は
過度にパフォーマンスを求められる点にあります。
芸能人的なことをやってでも生徒を集める
授業以外の部分で生徒を楽しませて集客が増えればそれでOKという
システムがどうしても好きになれません。
そんなことを言っている私がいつの日か
プロ家庭教師のお仕事というブログを
東進講師のお仕事という名前に変えなければならなかったり(笑)
数式は言葉だとか、今でしょ!だとか
何か意味のない流行り言葉を発して
奇抜な格好をして
客寄せパンダにならなければならない日がくるかもしれないんです。
これは
時代の流れ、私たちの職種を考えた場合仕方がないことだと思います。
受け入れるしかありません。
そして自分の好きなスタイルでやりたい場合は何かを我慢しなければ
なりません。そして自分に力をつけるしかないんです。
私が家庭教師を好きな点は
予想外の思いもよらない質問を生徒からもらうところです。
予想外のことからしか予想外のことは生まれません。
創造の源です。
一人一人の生徒と向き合っていると
様々な力を試されます。
対応力であったり、発想力であったり、瞬発力であったり…
そういう一瞬一瞬の出来事と緊張感が私は好きなんです。
生徒と一緒に素晴らしい授業を作り上げられた時は
これに勝る喜びはありません。

もし特攻隊長さんがこのような刺激を求めるならば
プロ家庭教師もいいと思います。
予備校で働くならば
これからの時代、指導できる科目を増やした方がいいと
私は思います。

質問の答え等 [コメント欄の質問の答え]

今日は土曜日なので家をでるのが
朝早いために
今、急いで諸々のことをしております。
明日も日曜日で授業がありますし
もうしばらく休みはありません。
あ!
でも、昨日営業時間以外に髪を切ってもらい
髪の毛問題は解決しました。
次に髪を切りにいけるのは
腰痛ではない時とお休みの最小公倍数なので
いつ切れるか分からないので
短めにしてほしいと言ったら
理容師さんは笑っておりました。

これから
九月の三週目くらいまでは
特に忙しいのでしばらくブログも満足に書けない
かもしれません。
そこで今日はとりあえず
最近頂いているコメントの返事を書いてしまおうと思います。

スモールさんへ
超弦理論の「例の問題点」という例の問題点というのが
何を指しておられるかわかりません…
な~んて白を切ろうとしましたが
私たちの分野で問題点といえば
「あれ」しかないですね(笑)
おそらくスモールさんは専門家の方なので
そういう書き方をされたかと思いますが
このブログであまり皆さんが良く分からない内容を書いても
どうかと思いますので
抽象的にお返事させて頂きますと
昨年くらいに思いついたのですが「あれ」を解決し得るかもしれない
アイデアが三つほどあります。
ただこれを数学的に詰めるのは非常に時間がかかりますし
一つは私が新しい分野を勉強しなければ解けないと思います。
私は個人的な趣味でやっていますので
誰も気づいていないからそれを人より早くやろうとか
そういう気持ちはありません。
ゆっくり楽しめるまとまった時間がある時に解決したいと思います。
解決できるかどうかわかりませんが(笑)
その間に誰かが解決しても、特に気にしませんし
私は私の方法で道を切り拓いていきたいんです。
宇宙についての全問題は私の個人的な趣味
妄想みたいなものです。
女の子が王子様に憧れてする妄想とほぼイコールです(笑)

ポテサラさんへ
毎年受験というのは非常につらいです。
受験なんて一年でもう十分だと毎年思います。
しかも、私の場合はプロ家庭教師でせいぜいみられるのは
年に多くて10人
受験生だと4人くらいが
私一人でしっかりとみられる限度だと思います。
その中で毎年結果をださなければなりません。
結果、つまり実績を出さないとその次の年の新規の生徒が
集まるかどうかわかりません。
そういう大きなプレッシャーがあります。
生徒には受かってもらわなければ困るんです。
でも逆に考えるとそういうプレッシャー、緊張感があるからこそ
この仕事は楽しく、責任感を持って続けられるのかもしれません。
私の場合、毎年このブログに書いておりますが
生徒が複数来た場合に選抜等はしません。
つまりいい学校に合格しそうな生徒ばかりを選んで教え
実績を残そうなどと考えてはおりません。
一生懸命に受験に取り組んでくれるという最低条件さえ満たせば
あとは基本的に先着順です。
「基本的に」と書いたのはあまり遠方の方や、移動時間の都合で
お断りするしかない場合もあります。
今年も生徒が一杯になり四名ほどお断りしましたが
その中に東大志望、ほぼ受かりそう
しかも真面目に取り組んでくれそうな生徒もいましたが
定員がきたら泣く泣くお断り致しました。
正直に言って、この先着制を何度やめようと思ったか分かりません(笑)
同じ料金を頂いていて
生徒が真面目で優秀ですと
色々と基本的な説明をしなくても授業はすいすい進んでいくので
肉体的にも私が楽ですし
私の言った課題等も確実にこなしてくれるので
全ては予定以上にいき精神的にも本当に楽です。
手間がかかりません。
ストレスがかかりません。
しかも更にその生徒は
私の仕事としての実績まで残してくれるんです!
来年の生徒も集まりやすいです。
こんなにいいことだらけの生徒を定員で泣く泣く断るんです。
お断りする相手の親御さんに
「家の子は学力的に足りないということで
ご指導頂けないのでしょうか?」
など言われることがありますが
そんなことは全然全然全然ありません!!
本当は引き受けたくて引き受けたくて仕方がありません(笑)
身体が二つ欲しいです。

でもなんだかんだ言って
私は今の方法はおそらく変えないと思います。
高校野球で例えますと
甲子園に出るような学校というのは大抵が私立で
全国から優秀な生徒をかき集めてやっています。
ちょっと変な表現ですが
必然的に集めて楽をしているんです。
私はこの方法が好きではありません。
偶然が好きなんです。
偶然出会った生徒の一人一人の夢を運命と受け入れて
叶える努力をしていくんです。
苦しくて苦しくてしょうがないですが
何とか知恵を振り絞って叶えていく
それが上手くいったときの喜びは非常に大きいです。
やる気と根性さえあれば
理三以外の東大は誰でも受かります。
それを証明することが東大に対する私の一つの答えでもあるんです。
ですから
やる気があって、私が組んだカリキュラム通り
しっかりやり
自分の夢に向かって頑張る気がある生徒なら
誰でも先着順にお引き受けしております。

もう家をでないといけない時間が近づいているので
この辺で[手(パー)]


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