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心をこめて [家庭教師のお仕事]

私は
物心ついたときから
人生を充実させよう
楽しもうと思っていきてきました。

楽しいことを
全力でやる
これが出来れば
私は幸福だからです。

授業もそうです
1人1人丁寧に
よく観察して
次にどういう質問をするか
どういう問題をやってもらうか
を考えて
授業の時間を充実したものに
したいと思ってます。

まあ……
ただ家庭教師の授業って
生徒次第ではありますよね[たらーっ(汗)]
この問題やってくれ
ここまでやってくれ
と御願いしても
生徒がタラタラやってたら
進まないですし
速くやれ!というと
やっつけ仕事や山勘でやる生徒も
いますし
進まないからと言って
私がその問題を説明したら
全てが終わりますよね……

せっかく
今のその生徒のちょうどいい
ちょっと考えたり
工夫すればなんとかなるものを
出してるので

もちろん
しばらく考えてもらって
それで分からなきゃ説明しますが

その時間も
しっかり集中して自分の力を
全て出し切って欲しいです。

それを継続してくれると
授業はどんどん進みますし
充実したものになります。
生徒に合わせて
いろいろな考え方解法
生徒の足りない
いろいろな考え方解法を
教えていけるので

何もしない
タラタラやられたら
もう
私にはどうしようもないですよね[あせあせ(飛び散る汗)]
打つ手がない

だから
応募の際に
「やるきのある」生徒を
しつこいくらい
御願いしてるのですが

せっかく
人生の時間を使って
同じ時間を共有するので
一緒に
素晴らしい授業の時間にしたいのです。

ただ
これが
私1人では絶対に出来ないという
難しさもあります。

今日も一日心を込めて
生きていきたいと思います[わーい(嬉しい顔)]
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流石にこれだけ長くやってると…… [家庭教師のお仕事]

生徒は1人1人違いますし
過去の生徒に指導した方法等が
当て嵌まることはないですが……

流石にこれだけ毎年毎年
受験と闘ってると
合格するコツみたいなものは
分かってきます。

概ね
全てを暗記して
その解答を当て嵌める
みたいな方法では
今の受験はうまくいかないと
思います。

そもそも
人生で考えたときに
入試の知識を暗記して
適用する
古い勉強方法は
かなり効率が悪いです。

受験をパスすればいい
合格さえすればいいという
考えならば
その方法も一理ありますし
実用的でさえありますが

ただ
合格はただのスタート地点でしか
ないです。
それを全く理解できてないから
受験だけに役立つ
人生的に「無駄な」勉強をせっせと
するんでしょうけど。

その結果が
日本の大学生勉強しない
日本の大学生学力不足……
みたいなことになるんです。

欧米の方がこの点では
優れていると私は思います。

ただ、欧米方式でやって
日本の入試に通用するかと
言えば
それも無理だと思います。

ですから
その中間を……なわけですが
これが結構難しかったです。
でも
これだけ経験を積んでくると
いろいろ加減ができるようになって
自分の理想の教育を保ちつつも
受験に対応出来るんだと思います。

学ぶということは
どういうことか?
生徒とよく話をしますが
それを個人個人
しっかり理解して
自分の勉強方法を確立して
いってほしいです。
その土台部分を私は
手伝っているのだと思っています。

まあ……
生徒から見れば
このおじさん
何言ってるんだろ??と
思われることも多いと思いますが(笑)

また、もうすぐ新規募集の締め切りが来て
新しい一年が始まりますね[パンチ]
頑張っていこうと思います
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プロ家庭教師として [家庭教師のお仕事]

プロ家庭教師として
私が1番に思うことは
今まで教えてきた沢山の生徒が
います
私はその生徒の人生に
プラスになったのか
マイナスになったのかは
わかりません

それは
生徒それぞれがどう生きるかに
よると思います。

私も同じです。
この沢山の生徒と関わって
闘ってきた
長い家庭教師生活
これを人生を終えるときに
プラスに考えられるか
マイナスに考えられるかは
私のこれからの生き方次第なのです

私は
今まであった生徒に
非常に感謝しています。
沢山の喜び、悲しみ
人生経験を積ませてもらったと
思っています。

ですからそれを肯定し続ける
人生の為にも
今日を明日をしっかり生きて
いかなければならないんです

プロ家庭教師は需要がなくなったら
自然に廃業でしょうし
私が他の仕事をしたくなっても
廃業でしょう
でも
この仕事が楽しく
人生を賭けられるうちは
しっかりやっていきたいんです。

その大きなモチベが
過去の生徒との思い出なのです。

今も受験の真っ只中で
当然疲労で体調もあまりよくはないですが
ここを頑張らないと
胸を張って今年も1年終われないので
しっかり最後まで闘い
たいです[パンチ]
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最強チーム結成 [家庭教師のお仕事]

テニスの全豪OP

もう負けてしまいましたが
ルーネ選手は
新しくコーチに
ずっとフェデラーのコーチだった方を
今回から雇い
ジョコビッチのコーチもやっていた
ベッカーも昨年から雇い
他にもメンタル担当の有名な方や
メディカル面……
まさに最強チームで
全豪OPに臨みました。

テニスは個人スポーツでは
ありますし
トップ選手にならないと
しっかりしたチームを組むことは
難しいです。
お金が凄くかかりますし

NBAでもうすぐ40歳でも
大活躍中のレブロン・ジェームズも
こうしたチームや自分の身体のケアに
年間数億円かけてるそうです

テニスに話を戻します。

ただ……このコーチたちとの関係も
面白いもので
選手が全くコーチの言うことを
聞かないことも
結構あります。
それで、もめる。
そもそもテニス選手は我が強い選手
が多いので[あせあせ(飛び散る汗)]

それで全員ある日
降格になったり(笑)
色々なことがあります。

勿論
長年チームとして上手く
いってるところも
ありますし
色々なのですが

なんでこんな話を書いたかと
言いますと
受験も実は同じです!(笑)

生徒がプレーヤー
私がコーチ
親御さんや……その他
色々な方、ものを合わせて
一つのチームとして
受験を戦っていくんです[パンチ]

生徒が私の言うことを
聞いてくれないところも
同じ(笑)
まあ、聞いてくれる生徒も
いますが
それをコーチングして
しっかり試合で
戦えるようにして送り出して
後は応援する

テニスでは最近試合中に
コーチングしてもいいように
なりました。
以前は話してはいけなかったんですが
受験もそうなりませんかね(笑)
生徒って本当に
本番でとんでもないことを
しでかしたりもしてくるんです[もうやだ~(悲しい顔)]
それを試験中にコーチング
出来ればなあ、と思うのですが
流石にそれは
カンニングみたいなもんですよね
(笑)

今年の受験もしっかり
コーチングして
生徒を送り出したいです。



(最強チーム番外編)
以前記事に書きましたが
テニス選手シナーの応援団
キャロットボーイズという
方々がいます。男性6名社会人
イタリア人です。シナーの母国です。
にんじんのコスプレをして
シナーの応援をしてるんです。
これは以前
シナーが試合の途中に栄養補給で
大抵の人がバナナかサプリを食べる中
生のにんじんを食べてたんです[がく~(落胆した顔)]
それにインスパイアされたのが
キャロットボーイズ
勿論単なるファンなのですが
世界中で有名になり
な、な、んと
今回の全豪OPは
主催者に招待されたのです!!(笑)
旅費も入場料も全部まるまる
主催者もち(笑)
ただのファンなのに……
彼らも
シナーの最強チームの一員ですね(笑)

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ブッチーのパラドックス&追い込まれあるある [家庭教師のお仕事]

私の仕事をしていて
生徒が言うことを
聞いてくれない
ということは
ザラにあります。
聞いてくれる方が珍しい。

また
自主的に何かをやってくれるか
と言って
やってくれない方が多いです。

まあ
もしこれらが解決していれば
成績はそこまで落ちてないはずで……
そうすると
私もそもそも頼まれて
ない訳で(笑)

これをブッチーの
パラドックスと言います。

まあ
基本的には
本人が思うとおりにすれば
いいですが

本人の判断に任せますし

私が教えること
主張すること
が正しいという保障はないです。
それは生徒も分かってると
思います。

私のアドバイスは
生徒の状態と志望校を見て
こうしたほうが
いいのでは?という提案なので
聞くか聞かないか
採用するか採用しないかは
自由です。

仮に私が
強制的にやらせたところで
身になるわけもなく

この辺は親御さんも
関わってる先生方も
分かってると思います。

若者は人のいうことは
基本聞きません。
自分で納得して
やらないとやりません。

たまに素直な子がいたり
自分の方法であってる子がいたり
でも
そういう子は
私の市場には降りてきません(笑)

だから
よく反抗されるのです。

ただ
これが自分で為す術がなくなったり
受験が近づいてきて追い込まれると
異様に私の言うことを聞くようになります(大爆笑)

もう少し
早く
言うことを聞いてくれれば……
まあ
でも生徒によっては
本当に直前の直前だけ言うこと聞いて
みたいな……
それだと流石に落ちますが

難しいものです。
もっと早く言うとおり頑張ってくれれば
なあと思うのですが……

実際私の生徒で
自分のやり方を貫いて
合格した人っているかな……
逆に(笑)
いたら
コメント欄で
教えてください

もう長くプロ家庭教師をやりすぎて
忘れたので[あせあせ(飛び散る汗)]

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元生徒友井さんのコメント [家庭教師のお仕事]

マスク世代という記事に
書かれていた
元私の生徒友井さんのコメント
「先生の素晴らしいところは
授業の質や
扱う問題が超一流だというところです!
質が保証されてるから
努力の甲斐がある
生徒が努力すれば自動的に伸びる!
ですね!」

このコメント
正にその通り![ぴかぴか(新しい)]です

私は元生徒でコメントを
書き込んでくれる
成功者のコメントを
あまり鵜呑みにはしていません(笑)
……
というのも
勝てば官軍的な要素はあって
合格体験記もそうですが
「合格」をもって
過去の自分の勉強してきた過程、行い
が全て肯定されるわけでは
ないと思うからです。

それは合格、奇跡の合格をすれば
私を褒め称えてくれるでしょう
でも、それは話半分でしか
考えていないです。
だって、結果合格でも
それまで散々酷いめに合わされた(笑)
生徒もいるので

月日が経てば
合格という結果によって
過去は塗り替えられる
それはそれで
構わないのですが……
努力の末
本人が自分の過去を書き換えた
ものなので。

でも
私は、そのコメントを
つまり勝てば官軍コメントを
鵜呑みにはしないよ
ということなのです。
合格しても
うまく行かなかった生徒もいますし
不合格でも
最高の指導を提供できた生徒もいる
それぞれの
日日の思い出が私の
集積された経験であり
それは結果によって
書き換えられるものではないです。

ただ
今回、この友井さんのコメントは
その通りだと思います。

努力というのは 質が一番大事
その努力の質がいいか悪いか
受験する大学にあってるか
分からないというのが一番の
問題なのです。

なんでも頑張れば
何とかなるというのは
うそです。
努力の方向を間違える
例えば本番で国語の試験が
ないのに
国語の勉強、死ぬほど頑張りました!
これって
受験に対しては
無駄な努力ですよね、明らかに。

だから
努力の質 生徒に、今このタイミングで この問題を解くのが一番いい というのは 自分では絶対わかりません
それを示すのが
私の大きな仕事。

生徒がそれを
やってくれるかどうかは
また別の話で
それが、難しいのですが。

宿題をだしたとして
生徒がそもそも
それをやってくれない
場合もありますし
全く違うことをやってくる
生徒もいる
自分でここを勉強したかったので
という理由で。

無論
私は
咎めたりはしません
議論もしません。
する問題ではないので。

私が私の目から見て
今、この問題をやるといいのでは?
という意見なので。
それを生徒が採用するか
どうかは
生徒の人生です、ご自由にどうぞ
です。
私も親でも誰でも
その生徒の人生に責任はありません。
本人の選択以外あり得ないので。

そこは
議論はしません。
私は私の意見をいいます。
この問題のやる意義が分かって
無い場合は
私がやって欲しい意図をいいます。
無論志望校に必要だからです。

志望校によって
整える道具は全く違います。
それを
その生徒に合わせてアドバイスして
いるので
一般論ではありません。

一般論である内容が
必要か否か問われたら
それは必要に決まってると
思います。
でも受験はそういうものでは
ないのです。

友井さんの言われるように
努力は質が大事で
何が最適か?
その時の段階の生徒に

それは自分じゃ分からないよね?と
いうことです。
逆に言うと
適切な努力をしっかり積めば
奇跡の合格も不可能ではないと
言うことです。

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あえて「ことば」で説明する [家庭教師のお仕事]

私がon-line授業で
気をつけてる
ことというのは

ある程度のことは
あえて「ことば」のみで
説明するということです。

これは生徒に評判が
あまりよくなく(笑)
結局図や絵や式を書いて
説明することになること
もあるのですが(笑)

まあ
そちらの方が
わかりやすいので。

でも
私が20数年教えて来て
非常に危惧していることは

●人の話をしっかり聞けない
●ことばからイメージを想像できない
●長い文章をしっかり読めない

そういう生徒が驚くほど
増えてるということです[がく~(落胆した顔)]

これは完全に動画文化
YouTube世代という……影響です。

そもそも私達は
視覚優位で
そういう傾向を
帯びやすいのですが

今は
本当に
例えばYouTubeの番組でも
15分くらいが主流で
長い、短いに関わらず
1.5倍速、1.75倍速にして見るのは
普通で
これらの番組は当然
見て分かりやすい!
見て楽しいものである。
作る側も
8分以上で広告がつけられるのですが
わざとゆっくり話をして
1.5倍速で見られるのを
想定して作られているわけです。

こういう
文化が行きすぎて
私が思うに
ことばからイメージを
膨らませることがきる生徒が減った
人の話を長い間聞いていられない
集中力がもたない生徒が増えた。
これは自分の頭の中で情報を
整理して聞かないからなのですが……

これは本当に深刻な問題だと
思います。
私は深刻だと思っています。
なぜなら不幸になる確率が
上がるので。

勿論
受験なので全て
ことばで説明するわけには
いかないので
頻繁にやるわけでは
ないのですが

ここは敢えて
ことばだけで
説明して
生徒が聞いていられるか
理解出来るか
私の質問に答えられるか?
を試したりしています。

無論
映像文化を否定するわけでは
ありません。
百聞は一見に若かずという言葉
どおり
見せた方がなんでも速いのです。
わかりやすい。

でも
これをやってると
皆、映像で説明する
ようになり
ことばで話をして
説明をする能力は落ち
文章を書く力も落ち
つまり国語力が落ちる
と思います。

テレビが流行ったとき
1億総白痴化が
唱えられました。
どういうことかというと
テレビやメディアという低俗な
文化に触れていると
思考力、想像力が落ちるという警鐘です

私は
これをずっと
「何いってるんだろ?そんなこと
あるわけないだろ。
映像ではない文化が
あるのに……」って
思ってました。
完全否定派でした。

でも
これだけ
視覚優位の世の中
特にネットができて
YouTube
全盛の時代
映像でないと理解出来ない
生徒が増えてきてるように
思います。

それは
私の知性を育てるという
教育方針に
著しく反するために
最後の抵抗みたいなことで
ことばで説明をしたりしています。

誤解して
頂きたくないのは
これはあくまでの
バランスの問題です。
全てを
「ことば」にしろと言ってる
わけではなく
行きすぎた視覚化によって
生徒レベルで
10年、20年前の生徒と比べて
悪い影響がでてしまってる
ということです。

幸福論のところでも
書きましたが
私達は
自分の中で
ものごとを考えてみる
という時間が必要です。

私は
人間として
「深み」のある人が好きです。
色々なことについて
考えてきた人
だから
X(旧Twitter)文化などを見ると
絶望を感じるのです
インスタ等もそうです
見栄え
人の評価ばかりを気にしてる
人生はむなしいです。
それよりも
自分自身をcultureすることが
大事で
そういう勉強の時間を
持って欲しいです。

何にお金と時間を費やしているかを
みれば
その人が分かると
私の尊敬する大学の先生が
言っておりましたが
年をとると本当にその言葉が
胸に響きます。
とくに
こんな時代だからこそ……

ですから
迷惑だと思ってる(笑)
私の生徒に
聞いてほしいのですが
私がときどき
ことばだけで説明しているのは
私の信念に基づく
私が正しいと思っている
指導方法だからなのです。

それを視覚ではなく
「こころ」で理解して欲しいです。







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新しい考え方を身につける [家庭教師のお仕事]

今まで
私の生徒で急激に実力が
伸びたり
無理な判定で
奇跡の合格?なるものを
した生徒がおりますが
特別なカリキュラムか方法が
あるわけではないです。

ただ
考え方を変えるというのは
非常に大きなポイントだと
思っています。

これは
問題を解ける人と解けない人では
そもそも考えているポイント
考え方が違うからです。
私は初期の段階でそれに気がつき
ました。

勿論これらの合格の原因には
色々な要素があると
思います。

まずは
生徒が頑張ったこと
これが非常に大きいです。
どんなに
私がアドバイスをして
仮にそれが適切であっても
生徒が実行してくれないと
何にもならないからです。

今はこういう話は
置いて置いて
特に理系科目が出来ない
伸び悩んでる生徒は
私は考え方が良くないなと
いうのを感じます。

ちょっと表現が
難しいですが
考え方がズレてるというの
でしょうか
しっかり理系の問題を
考える思考方法というのが
出来ていないといいましょうか。

分かりやすくいいますと
例えば
幼稚園生とか小学1年生に
リンゴ3個とイチゴ2個
合計何個?と聞くと
リンゴとイチゴの個数は足せない
と考えてしまったり

リンゴ3個とイチゴ3個
リンゴ3個の方が多い気がしてしまう。

3㌔の鉄と3㌔の綿菓子
鉄の方が重い気がしてしまう。
みたいなことはあります。

今の皆さんにとっては
笑い話のように感じられるかも
知れませんが
実はこれは難しいことで
「数という抽象概念」が
分かってるかどうか?
という問題なのです。

この抽象概念が
分からない子供に
これを何回説明しても
理解してもらうことが
難しいのは分かると思います。
要は私達は
抽象概念の世界でしか
この事象を説明できないので。
ですから
子供が色々な経験を積んで
自分で抽象概念の数というものを
インストールしない限り
先ほどの問題は永遠に解決しないのです。

私達大人でもあります。
理系で大学で
無限大という概念をしっかり
学んでないと
無限大という意味が分かりません。

高校生がそうです。

どういう間違えをしてるかというと
無量大数みたいな感覚で
無限大∞を凄く大きな数だと
思ってしまっているんです。

それで
例えば0.9999999……=1が理解
出来なかったり
整数と偶数の数って同じ数だけ
あるよね?
みたいなものに
引っかかってしまうのです。
整数は偶数と奇数からなるので
そりゃ
整数と偶数
整数の方が沢山あるに決まってる!
と思うかもしれませんが
読者の方が整数をどんどん言ってください
私はそれに×2を掛けた数を言えば
永久に勝負はつきませんよね(笑)
つまり
整数の数=偶数の数
なんです。
これを反証したければ
私が対応出来ない整数を言ってみてください。
必ず言えますので。

みたいな
話を理解できないんです。
これは先ほどの
数の抽象概念を理解出来てない
幼稚園生と同じ。
無限大を大きな数だと
思ってしまってる
間違えなのです。

つまり
無限大をあたかも数のように 扱えば いくらでもこの手の パラドックスは作れるのです。
アキレスと亀も同じです。

これは高校数学で
∞をしっかり理解できない
というのは
ある意味仕方ないのです。
大学数学を学べば
しっくりくるのです。

前置きが長くなりましたが

大学受験とかで
成績が伸び悩んでる生徒に
結構あるのは
この考え方の間違えなのです。
ちゃんと
数学や物理の考え方が
出来ていない。
数の抽象概念や
∞を数だと思ってるのと
全く同じなのです。

私は結構その点に気がついて
考え方を修正すると
うまくいく
つまり成績がグンと上がる
生徒がいることに気がつきました。

ただ……
ただです。
数の抽象概念を教えるのが
難しいように
この考えを私の世界の言葉で
生徒に伝えても
さっぱり??なのです。
それを直すには
実戦で自分で考えて直すしかない。

ただそのために
普通に問題をやっていても
この問題は
永久に解決しないのですが
適切な問題を選んでやってもらう
それを繰り返すことで
数の概念が普通に皆さん
分かるようになるように
理系的な思考がインストールされるのです。

これは
実は理系科目だけに
限らず
ありとあらゆるものに
応用が効きます。
スポーツでもかなり
役に立ちます。
スポーツでも適切な練習が
必要なのです。

また
そういう風に
ある種の新しい考え方を
身につけることが
できる人は
当然ながら思考力も上がって
いるのです。

この
勉強が出来ない生徒に
インストールされてない
新しい考え方を
しっかり植え付けていく
育てていくことが
1番学力が本当の意味で
あがる方法だと思っています。
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私の幸福論の軽いまとめ(後編) [家庭教師のお仕事]

結果とか成果なんて
まず確実に出るもんでもないですし
でない
確率の方が圧倒的に
多いということを
人は知るべきだと思います。

ああそうそう
私のような日日楽しむ人間は
別に結果に拘ってないわけでは
ないです。結果は出したいです
できれば。
でも出なくても日日を楽しんで
おけばそれで幸せということです。

私はプロ家庭教師の
仕事をしているとき
結果に凄く拘ってます。
それが第一志望合格率で
あり、全員受からなきゃ
素直に喜べない……等々なのです。

その過程において
これって楽しい日日だから
別に誰も受からなくてもいい!
野球なら甲子園にいけなくても
いいや
なんて
絶対に思いません!!!
そもそも
そんな覚悟でやってる
人間が勝てるとは
到底思えないですし。

これは矛盾でもなんでも
無くて私の中には
ロジックがあります。

出した結果が一番大事
成果主義の人って
実はその結果が大切なのは
自分ではなく周りなんです。
他人。

例えば
どんどん金持ちになって
どんどん成功して
一番変わっていくのは
自分の周りにいる人々なんです。
無論
そういう人に影響を受けて
自分自身も
変わってしまう人もいますが
その話は次元が違うのでおいて
おきますが

例えば
私が今、ビルゲイツの
資産を全部持ったから
と言って
自分が変わるか
急に明日から英語を話して豪遊するか?
というと
全くしないと思います。
ただ、私の「結果」を見て
群がってくる人
もろもろは激変すると
思います。

ですから
実は結果というのは
一番影響を与えるのは
周りの人なんです。
だから
結果主義、成果主義というのは
以前書いたように
他人の目を気にして生きてる
人なんです。

それに対して
その「過程」
というのは
全て自分の問題です。

だって
東大合格という結果しか
周りは知らないですよね
日日どんな努力、楽しみをしてきたかは
他人はわからない。
言わば他人への体面として
成果主義の人は結果が
欲しいんです。
自分はこんな頑張ったんだとか
いっても評価されないですよね?
結果しか他人には評価されないんです。

私は凄く物理が得意だとか
いろいろ言われてきましたが
その物理を
生まれてからどれだけの量
私が楽しんできたか
つまり俗に言う努力をしてきたか?
なんて誰も知らないわけです。

それなのに他人は
天才だとか才能があるという
言葉で私の物理を片付けるんです。

東大に受かった人に
受験
一日何時間勉強した?
が愚問なのと同じです。

こういう質問をする人って
結果が欲しいんですよね???
どれくらいの時間勉強すれば
東大合格という結果が得られるか?
なんなら
東大合格が10万円で買えるなら
買う人だと思います。
東大卒という結果
他人の評価、見てくれが欲しいので

でも
こんなもの意味ないよ
っていうのが
私の生き方です。

それで
先ほどの過程を重んじる私が
過程を楽しみたい(笑)
結果を目指してることと
矛盾しないというお話ですが
これは
その周りの人に見せる結果が
自分がこういう風に
楽しんで、つまり努力して
考えて考えて
やった過程の結果として
でたものだよ
ということを示したいからです。

これはちょっと
厳密に書くと
もう少し……いやかなり長くなる
ので略ですが
私の言ってることはきっと
私の今までの読者なら
communicationとして(笑)
分かって頂けると思います[わーい(嬉しい顔)]

簡単に言うと
対象と目的が違うので
矛盾しないのです。

私は生徒と昔から
よく話
考え方を聞いたり
まあ
それが行きすぎた雑談に
なることもありますが[たらーっ(汗)]

雑談するのも
大きな目的は
そういうことです。
ただ
実際楽しめるかどうかとか
それを継続できるかどうかとかは
個々人の知性に委ねられるもので
私はその知性を身につけていくような
思考トレーニングを供給することしか
できないのですが

でもそれが
一番
第一志望合格に向けて
適切なアプローチだとは
思っています。
つまり
合格という結果が出たときに
過程も合わせて
その生徒に対して
いい指導が提供できたな……という。
満足感はあるのです。

まあ
本当は書籍になるような量の話なので
軽く話すのに無理がありますが
概ねこんな感じで
私は日日人生を楽しみたいのです。
人生に降りかかる全てを
楽しみに変える知性が欲しいのです。
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私の幸福論の軽いまとめ(中編) [家庭教師のお仕事]

私が明確に人生で初めて
成果主義の阿呆どもに
最初に対峙したのは
高校生の野球部の朝練でした。
高三の夏の大会の前ですが
朝練を反対する父兄が
まとまって
私はキャプテンではないのですが
主導者として(なんだそりゃ(笑))

「公立国立で
甲子園にでる高校なんて
ないの知らない?」
「どうせ一回戦2回戦で負けるのに
朝練なんてしても無駄だから
それだったら東大に向けて勉強した方が
結果がでる。」
「結果がでないと分かってるものに
対して努力するのは効率が悪い
やってもむだだ」
みたいなことを宣われる抗議を
受けました。

正直にその時に
感じた私の感想は
言葉が悪くて読者の人には
申し訳ありませんが
脚色するのもどうかと思うので
そのまま書きます。

こいつら馬鹿だな、
長く生きて
人生見つかった
哲学こんなもんかよ
馬鹿と話しても
それこそ時間の無駄
だから
とりあえずはいはい
言っておこうと思ったんです。

なぜ馬鹿か
そもそも
この人たちは
努力というのは
大抵
実を結ばないことを
知らないからです。
結果や報酬を
もし目標とするなら
圧倒的に人生が
不幸になることを知らないからです。
どんなに努力をしても
結果が伴わないことの方が
圧倒的に多い
こんなこと
誰でも分かってる話じゃないの?って
高三の私は思っていました。

だから
一番大切なのは何か
それは好きなことをやることなんです。
努力というと
嫌なことを気合いで
頑張るみたいな
イメージが日本にありますが
そうではない
ただ楽しくて没頭する
それを毎日繰り返すのが努力で
そういう状態にすれば
仮に確率の高い
結果が伴わなくても
この努力は無駄だ、人生のかけた
時間は無駄だ
なんて思わないんです。

そして面白いことに 努力を苦しんで義務感で 目標のため成果のために にやった人より 好きで楽しんでやった人の 方が圧倒的に勝つんです。

大谷翔平さんを見ればわかりますよね
怪我をしたら
契約が悪くなる、年俸が下がる
記録が残らなくなる
今後の野球人生に影響がでる
なんて
ケチなこと何一つ考えてないんです。
ただただ
好きだから野球をやる
野球の試合にでたい
なのです。

メイウェザーもメッシもみんな
トップ選手はそう。
誰に練習しろいと言われなくても
楽しいからやっている。
それに
いやいや努力してる人は
絶対勝てない、です。

毎日に毎日
甲子園に向けて
楽しい野球をできて
私は幸せだったな
その中で
色々な気づきも
友情も
ありましたし
物理の勉強にもなりました。
戦略を考えるのも楽しかった。
その楽しみが
一番で幸せでした。

結果はどうなったか
ベスト16で終わった
それはそれで
全く後悔なんてしてないです。
1回の甲子園にでたという報酬よりも
毎日楽しめた日日の報酬の方があきらかに
大きいので。
これを努力が無駄だったとしか
考えられない人は
私は可哀想な人生だと思います。
無論
何の同情もしませんが(笑)
考え方が違いますし
それぞれ
考え方は自由なので。

成果主義の人はネガティヴに
私の結果を捉えるんです
かけた時間は何だったの?
やった練習の数々は何だったの?
苦しい努力の日々は何だったの?

私から見れば
ため息しかでないですが
私はこういう方々は
絶対幸福な人生は送ってないので
生き方考えた方を変えた方がいいです。
本当に。

成果主義の人対しては
それしか言えませんが
それが心に刺さって
改める人なんて
いないでしょうね……(笑)
だから私もこのことで
成果主義の人に
議論したり話をすることは
ないです。
その時間が私の不幸なので(笑)


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私の幸福論の軽いまとめ(前編) [家庭教師のお仕事]

勉強のやる気がでる方法だとか
幸福論だとか
成果主義は良くないとか
色々なことを
好き勝手書いてきました。

書いた時期がバラバラで
わかりにくい話なので
この辺で少し軽くまとめておきたい
と思います。

無論
これは現時点での私の考えで
今晩何か閃いて
明日には違う幸福を探してたりも
するかも知れません。

まず
私には前提がありまして
それは
世の中、努力なんて報われないことが 多い
ということです。運もありますし。
この前提が共有できないと
私の幸福論は
特に意味を成さないと思います。

若者とか高校生と話をすると
共有できないことが多いです。
そこには幻想があるので。
努力はいつか必ず報われると
思ってる人もいるので。
それはそれでいいと私は思います。

そもそも正しいとか
間違いとかはないです。
相対論が出てきたから
ニュートン力学が
間違ってるとか
そういうことはないので。
世界の捉え方の問題です。

話が逸れましたが
私は努力は報われないことの方が
遙かに多いと思うのです。

大谷翔平さんに
なろうと思って
一生懸命
野球をやっても
大谷翔平さんになれる人って
ほとんどいないです。
世界で野球をやってる人で
100年に1人くらい。

もっと低いレベル
メジャーリーガー
になるだけなりたい
という目標をもっても
それを努力して
達成する人は稀です。
ほとんどの人が
努力をするけど
その努力によって目標は達成されない
のです。

もっと現実的なことを言うと
甲子園で優勝しても
プロ野球選手になれる人は
ほとんどいないですし
アメリカの州の高校生の大会
より、甲子園の方が遙かに
レベルが低いです。

東大に
合格したいと思って
勉強しても
入試というのは運や
その日の体調、諸々が影響して
努力が報われないことがあります。

無論
努力が
報われることだけを
目標にするならば
簡単な話で
すごくレベルの低い目標を
設定すればいいのです。
野球をやるなら
キャッチボールができる
ようになるとか。

ただ……私が述べている
目標とか努力とかは
そういうレベルの話ではないです。
このことは読んで頂いてる方も
分かるでしょうから
元から触れてはいません。

ああそうだ

天才とか才能の話も
書いてなかったです。
努力か才能かという
この問題の解決方法と
問題点ははっきりしてるので
いつか書きます。

ひとことで言うと
才能と言うのは
言わば個人個人の特性
個性みたいな
ものです。

大谷さんは
野球だけを滅茶苦茶やった
結果で今があります。
日本人はおかしなところが
あって
井上尚弥選手がXで変なこと
ポストするから
イメージが壊れるからやめた方が
いい……とか

スーパースポーツ選手は
人格もしっかりしてる
と考えるのは
大きな間違えです。

だって
普通の人が人格を磨く間
文化的に知性を高める間も
大谷さんは野球の練習を
してましたし
井上尚弥さんはボクシングの
練習をしていたんです。
それ以外のことが 普通の人よりできない なんて当たり前で
道徳的にヤバいことを仮に
やったとしても
大目に見る(笑)というのが
社会の正しい姿勢です。

仕方ないです。
そもそも
そのスポーツばかりやってるんで
他のことが疎かになるのは

だから
私は才能は個性だということです。
力を向けるベクトルの問題です。

じゃあ
その才能にいきつかなきゃ
努力は無駄か
そう考える人
成果主義がやばいという話を
私は書きました。

成果主義の人は
本当に私とものを考えてる
次元が違いすぎるので
絶対
分かってもらえないと思いますが

才能にならなかった
受験で合格しなかった
努力は無駄だ、損だ、
かけたお金の時間が
みたいに考えるんです。

そこで
考えないといけないことは
私がいつも言ってる
なんでも楽しいことをやる
楽しい好きなことばかりをやる
あることを
楽しみに
変換する能力が知性だと言いましたが

その努力を
楽しめない人
楽しみを見いだす知性の無い人が
努力が苦行で
これだけ努力したのに
結果がでなかった
みたいに考えるんです。

だから
成果主義の人はもれなく
この努力の過程が
苦しくてつらい、つまらないもの
だと思ってるんです。
楽しめてないんです。
知性の不足によって。

好きなこと
楽しいことを
毎日やって
いろいろ日日勉強になって
それでいろいろな
考えが身について……
その毎日だけで
私は「得」だと思うのです。
仮に私が勉強して
受験で落ちた
野球の練習をしたけど
甲子園に行けなくても……

結果や成果はでるかどうか
分からない蓋然性の高いもので
人間の一生のうち
大半は言わば努力の日々なのです。
ですから
その努力自体がつまらない、つらいもの
なら人生はつまらない、つらいものです。
それで成果がでればいいですが
必ずしもでるものでもない
それなら
日日の努力、日日のやるべきことを
知性によって楽しみに変えて
日日を楽しむ方が
私は幸福な人生になる可能性が極めて
高いと思うのです。

私も毎日楽しい仕事しかしてないです。
その結果が第一志望合格で
でるかどうかわかりませんが
その生徒と過ごした楽しい日日は
成果がでなくても全く無駄だとは思いません。

なるべく楽しいことをする。
知性で日常を楽しみに変換する。
それが私の現時点での幸福論です。



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勉強のやる気がでないシリーズ(私的幸福論):後編 [家庭教師のお仕事]

ただ人生
そうはいっても
多かれ少なかれ
やらなければないけないことが
あります。
多くの人にとって
そちらの方が多いのかも知れません。
受験勉強もその類いであることが
主流なのだと思います。

受験勉強も好きな人には
勝てません。
中毒状態でずっとやれるので
でも多くの人にとって
私もそうですが
好きで楽しいことでは
ないと思います。

そこで
自動的にやらなきゃいけないタスクや
物事があった時に
それを楽しめるか?
言い換えると
その中に楽しみをいかに見つけられるか?
というのが1番大切だということです。
これは人生の中に楽しみを
見つけられるか?
人生を楽しめるか?という幸福論でも
あるのです。

唐突に結論を書きます。
本当はもう少し色々詰めたい
お話をしたいことがあるのですが……
それは一冊の本レベルに
長くなるからです。

世の中のさまざまなこと
やらなければいけないこと
自分の人生におそいかかること
というのは
楽しいことばかりではないです。
ただ、それをいかに楽しめるか?
それが私は一番大切で
あるものごとの中に 楽しみを見つけられるかどうか? それが知性だと私は考えています

例えば
英単語を覚えるにしても
ただただ 試験に出るから
暗記しなければいけない
合格という報酬があるから
一生懸命 覚えるんだ
という人に比べて
英単語 覚えるということ自体に
楽しみを見いだせる人
例えば 語源とか色々な工夫をして
英単語を覚えること自体を
自分に楽しいという風に変えられる人
には絶対に行かないません。

これは
普通の人生を 自分なら楽しいものに変えられる! というのと 同じことで それが知性の最大の働きで そのために私達は知性を身につけないと いけないのです。

人間は楽しめること
好きなことをやる時に
一番力が発揮できるのであって
いかに そのメンタリティに
持っていくことができるか
それが勝負だと思いますし
それを色々な方法でできる人が
知性の高い人間だと私は思っています。

何も遊び道具もないところで
どういう楽しみを見つけられるか?
どういう面白さ
意味を付与できるか?が
人間力なのです。

私は仮に今
懲役10年になったとしても
その10年を楽しむ
自信はありますし
癌になってあと1年しか
生きられないとしても
その1年を十分楽しむことが
できるという自信があります。

自分に起きた一般的には
よくない出来事まで
楽しむことができれば
そういう 変換する知性があれば
人間というのは強いと思います。
もはや 逆境が逆境じゃないので
楽しみですらある。
努力が努力ではなくなるので。
幸福な人生を送れるでしょう。
知性は幸福に直結している
これが私の哲学的な結論です。

私は生徒に授業をしていて
そういう知性を身につけてほしい
そういうメンタリティーを持ってほしいと
思って生徒に接しています。

だから今まで書いてきたような
いかに楽しめるか?という
工夫を
私が生徒に直接与えてしまうと
何の意味もなくなるんで
それはこちらが教える側が
我慢しなきゃいけないこと
なのですが

もちろん 生徒の中には
その目の前の利益だとか
報酬つまり合格のためでないと
やりたくないみたいな人もいます。
まあ それはそれで仕方ないです。
最終的には生き方、価値観の違い
みたいなもので。
別に私の生き方が正しいと
思ってないですし
それは人それぞれなので
ご自由に案件なので。

ただ
私の考えは私の考えで
伝えます。
それがいつ役に立つか
何かのヒントになるかも
知れないからです。
また
同時に私という人間と
付き合いやすくなる可能性も
あるからです。

以前
日本人にはモラルがない
という話を書きました。
海外の実験で
先生とか誰かに見られてると
日本人は勉強するけど
見ていないとしないみたいな
人に見られてるか 見られてないかで態度を変える
これは非常に
日本人の特徴として
面白い部分です。

宗教を信じてる人は
誰が見てようが見てまいが
神様が自分のことを常に
見ているので
態度が変わらないのです。


大谷さんが野球をやる
練習をするというのは
別に誰かに見られてるからでもなく
何億円という報酬が欲しいわけでもなく
ただただ好きでやってるわけです。
だから試合にも出たいですし
怪我でなんとかとか
キャリアが何だとか
そんなちっぽけなことは
考えてないというか
ただただ好きなんです。

WBC の優勝の祝勝会でも
他の選手が驚いたのは
大谷さんは自分で食事制限を
しているので
余計なものは食べないとか
飲まないとか
そういうのを徹底してるのが
偉い!てみんな他の選手は思ったと
思うんですが
別に大谷さんにとっては
それ努力じゃないんです。

私達の人生は
なにものでもない
無駄なものです。
ある人が生まれて死ぬ
地球も人類もやがて滅びるのは
確定事実で
その観点からいえば
全ての人類の営みは無駄なことです。
最終的には
何も起きなかったのと同じように
宇宙の塵となるからです。

でも
その「空なる人生」を生きるのは
他でもない自分自身で
その人生に意味を付与するのも
自分自身です。
私達人類には知性があります。

芸術にしたって全く同じことです。
これは私の長い長いブログでは書けない(笑)
芸術論があるのですが
絵画にしても音楽にしても
知性の働きによって
「空なるもの」に意味を付与するという
ことなのです。
楽しんでるです(笑)

私の受験指導というのは
表面上
第一志望合格という
報酬に向けた
努力ですが
それだけで終わらせたいとは
思っていないということです。
何よりも
生徒に知性を身につけて欲しい
どういう考えをもてば
知性を磨けるのか?を知って欲しい
そういうことを
本当は何よりも伝えたいと思っています。
受験はその一つのツールである
くらいに私は捉えて
楽しんでます(笑)
人生楽しめるのが一番ですし
その為には
意味を見いだして楽しむ
知性が必要です。
知性がない生物は楽しめません。

生徒の大半
私に指導を依頼されるような
生徒(笑)の大半は
受験を大学へ行くための苦行だと
解釈していると思います。
いい大学、いい学校に入れば
有利だとか
人生にとってプラスだとか
報酬と捉えても非常に曖昧な
努力しづらい
ものなんです。
でも、そういうものだからこそ
そこに
楽しみを見いだせるか
受験を楽しめる知性があるかが
大切で
もし楽しむことができるのならば

勉強のやる気がでないんだけど
どうしよう?
人生の生きる意味がわからない
んだけど
どうしよう?
みたいな問題は昇華されてしまうのです。
そして
それを実現可能にするのが
人間の知性なのです。

受験勉強でやらなければいけない
ことは沢山あります。
物理の点数を取れるようにするには
ゲームと同じで
沢山の演習実践が
必要になります。
それをいかに楽しめるものに
できるか?
そしてもし楽しめれば
もはや
それは努力でもなんでも
なくなるんです。

これは幸福化のトレーニングと
いってもいいです。
どんなことでも
楽しめるものにする
その中に楽しみを見いだすことが
できれば
どんなことが起きても
楽しみに昇華することができるのです。
その世界線において
もはや勉強の
やる気があるとかないとかの
問、自体存在しないのです。
やる気がなくて出来ないものしてる自体
知性が足らないということです。

人間がここまで進化してきたのは
楽しいからだと私は思っています。
楽しんだから
知性が磨かれ
知性が発達したから
楽しめる。
その循環の中で
芸術が生まれ娯楽が生まれ
スポーツが生まれ
ありとあらゆるものが
文化として生まれてきたのだと
思います。
そうやって人類は
個々の人生という「空なるもの」
に意味を付与して
昇華させてきた。

このいわば伝統にしたがって
私達1人1人が
自分の人生を楽しめるものに
変えていく
それが知性ある人類の
幸福なのだと私は考えています。


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勉強のやる気がでないシリーズ(私的幸福論):前編 [家庭教師のお仕事]

以前書いていた
勉強のやる気がでないシリーズの
解答をもう書いちゃいますか(笑)
まあ
本当はもろもろの論理構成が
必要なのですが……
生徒に聞かれて雑談で
話をしてしまってるので
書くのも面倒になってきてるので(笑)

ああそうそう
先日の大谷翔平さんですが
監督に代打が無理なら
代走でもいいから試合に出たいって
直訴したらしいですが
どんだけ野球好きやねん!
完全に野球中毒患者や!

なんでもそうですが
好きでやってる人
楽しくてやってる人
中毒患者に
勝つことは出来ません。

努力がもはや
努力でもなく
楽しくて
やってるだけなので。
しかも何の報酬が保障されて
なくても。

何かの報酬がなくても出来る
その時点で勝ちです。
私も理論物理学の研究
努力だとかなんだとか
思ったこともないですし
好きで、別に何かのために
やってるわけじゃない。
ノーベル賞が欲しいとか
自分が有名になりたいとか
報酬のためにやってるわけでは
ないです。
これが1番人間伸びますし
強いです。

大谷さんも年俸が上がりたいとか……
報酬の為にやってるわけじゃない
ただただ
野球が好きだから
野球の試合にでたいんです[わーい(嬉しい顔)]

一般の人は
ある目標がある
それを達成したら報酬がある
だから努力する
みたいに
考えると思いますが

こういう風に努力している人は
勿論ある程度のレベル
上級者にはなれます。
でも
一流には絶対になれません。
報酬がないと努力できない人は。

それでは
受験で考えてみましょう。
受験勉強を
好きでもない
中毒でもなくやっている人の
1番のやる気が続かない
原因は何か?
それは頑張ったところで 第一志望合格という 報酬が必ずしも得られるもの ではないからです。
努力しても
それは合格を報酬と考えた場合
無駄に終わることもあるからです。
個人個人色々理由がありますが
私はこれが1番大きいと
思っています。
勉強が辛くても
報酬が確定してることに
関しては人は努力しやすいんです。

例えば1000時間勉強したら
確実に東大に合格するという
「確実な」報酬があったとしましょう。
そうすると
今、東大に向けて勉強してる人より
遙かに多くの人が
参戦して東大合格を
目指して努力するでしょう。
頑張れば報酬が約束されてるので。

こういう類いのことを
人間が努力するのは
非常に簡単なのです。

だから
例えば
この問題集を全部暗記したら合格できる
というような話に乗りやすい
そう信じ込める
これは
ある意味報酬の確実性が増すからです。

先日書いた
木村ミノル選手のドーピング問題も
そうです。ステロイドを使って
努力をすると、報酬が大きいことが
確約されているのです。

勿論
わざとこのように 報酬を設定して 努力する方法もあります
一つのテクニックとして。

例えば期末テストで
90点以上取ったら100万円もらえる
という報酬があれば
かなりのお金好きの人は
努力するでしょうし。

でも……
私はこの報酬を
設定してやる方法は
大反対です。
有名な心理学の実験でも
ありますが。

報酬のためにしか
努力できない人の限界なんて
すぐに訪れるからです。
仮に第一志望に受かったとしても
何かで成功したとしても
報酬のためにした努力よりも
好きで楽しくて
もはや努力だとも
思ってない人に
勝つのは無理なんです。

それに社会の大半のこと
人生においては
そんな報酬が確定してることなんて
稀だからです。
そして何かを達成する度に
また報酬を設定しなければならない。
そして学問でもなんでも
そうですが
全ての上達には
意外なことが役にたったりもするんです。
その意外なことが報酬外で
あった場合に
その努力はされないことに
なるからです。

引退した今でも
エキシをやってるボクシング中毒患者(笑)の
フロイド・メイウェザーJrの名言があります
「お前らが休んでいるとき、俺は練習している。
お前らが寝ているとき、俺は練習している。
お前らが練習しているときは、
当然俺も練習している。」

メイウェザーは生涯50戦50勝無敗
この記録は本当に凄いです。
なぜ凄いか?
それは普通
ボクシングの世界チャンピオンに
なりたい人とか
成り上がりたい人は
お金、大金をもらえることを
報酬においているからです。
そのために頑張る。
でも逆に言うと
それが達成してある程度の
大きなお金をもらうと
俗に言うハングリー精神が
なくなり
頑張れなくなり、自分を追い込めなくなり
負けて引退するんです。
メイウェザーはもう
途中から30勝くらいしてるときから
大金持ちです。
それでも全く同じモチベーションで
練習してるんです。
ボクシングが好きだから
中毒だから。
だから
その後も勝ち続け
50戦無敗
今でもエキシで稼いでいるんです。

メイウェザーは
ボクシングでは強すぎて常にヒールですが
本当に私は歴代最高のボクサーだと思います。

こういう
様々な人の人生の中に
私達が生きるヒントというのが
あります。
勉強のやる気がでない
という問題を解決する方法の
ヒントが。

ここまでの話で
私が言いたいことは
人は報酬のために努力をする
報酬はインセンティブとして
努力をブーストしてくれるが
本当にその道で一流になる人は
報酬設定すらいらない
ただただそれをやることが
楽しくてやってる人々なんだ。
ということです。

究極的には
私は全ての物事をやるときに
報酬云々ではなく
楽しんでやる
好きでやるというのがベストだと
思っています。
その方が幸せだからです。
私は自分で
好き勝手にいろいろな仕事をして
います。
体力的に大変だろうとか
諸々心配されますが
全く心配は要りません。
好きでやってるので。
逆に言うと
楽しめない好きでないことは
やりたくないです。
その時はどんどん仕事を変えていく
それだけのことです。


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結果が全てなのか? [家庭教師のお仕事]

よく
結果が全てだとか
結果が出なければ
仕方ないという人がいます。
生徒でもそうです。

いろいろ
受験勉強を一生懸命やったけど
落ちた
全ては無駄だった……と

私はこういう考えは全く
理解できません。
結果が全てだという考えを
否定するわけではありません。
理解が出来ないだけですし
私の価値観とは違う
というだけです。

私とは人生観が全く違うということです。

結果ってそもそも何でしょうか?

例えば
受験で東大に受かったとします
それは結果が良かった

何の???って
私は思うのです。

結果というのは 結局 他人の評価、世間の評価なのです。
個人の結果は
死でしかあり得ないので。

結果が全て……
人類の結果はもれなく
地球の上で地球上の生物とともに
全滅するということです。

中学受験で
開成中学に受かりました
結果がでて良かったです[ぴかぴか(新しい)]

その結果は
他人が一時的に評価するもので
その人にとっては
全て人生のプロセスで
開成中学に受かって人生終わりでも
なければ
その後の人生でどんどん挫折すること
もあるんです。
「その結果」は悲惨なものになるかも
知れないです。
そうしたら
開成中学にむしろ受からない方が
結果が良かったのでは?みたいな
考えになりますよね。
結果主義の人は。

考え方、ものの見方がが
単純すぎます。
死以外の
結果自体
自分で設定してるだけ
恣意的なものです。

その恣意性はどこからくるか?
それは誰かに評価してほしいからです。

例えば
「この方法でやれば偏差値20アップ!」
なんていうのがあったとしますよね
仮にこの方法で
偏差値20アップという結果がでたとしましょう。
ある時点で

そこで終わりですか?ということです。
この終わりのデッドライン
恣意的に勝手に決めてますよね
その後
偏差値がそこから10下がったかも
しれないし
1回の模試だけ偶然良かったのかも知れない。
もっと酷いときがあるかもしれない。
だけど
結果主義の人は
偏差値20上がった!やったー結果が出た!!

阿呆なのですか???

と私は率直に思います。
到底知性のある人間が導き出せる
思考方法ではないからです。

ですから
結果主義というのは
単純に人の目を気にする主義というか
世間体、体面主義です。

私から見ると
開成中学合格は
その話を聞いた第三者にとっての
結果であって
自分の結果ではないのです。

そういう結果主義を唱える人は
どういう人か?
それは
異様に
他人の評価、他人から
どう思われてるか?を重視して
生きる人なんだと思います。

他人にどう評価されるのか?を
気にする人生です。

自分自身の人生を生きる人ならば
明らかに大切なのは
結果よりも経過、過程
プロセスです。

人間の真の結果は死 プロセスこそが人生だからです

そのプロセスで
何が得られていくか
学べるかが
これからの経過としての
人生を生きる上で
このうえなく大事だからです。

わかりやすい
例で言うと
私の同級生で
京大受験の際に
チートして机に色々書きまくったり
本を試験中に見たりして
カンニングで京大に合格した
人がいます。

後年スマホ知恵袋事件が起こるように
京大の試験監督体制は
ぬるぬるでした。

その合格を
羨ましいと思った他の同級生もいますが
私は全くそうは思いませんでした。
それは
受験勉強でもなんでもそうですが
大切なのは結果ではなく
自分がそれに向けて何をどう努力したか?
だと
私は思うからです。

つまり その時間をどう生きたか?と いうことですが。

京大に合格することより
それに向けて頑張った自分の方が
大事だし、
それを中抜きにして
結果だけ得られても何も
嬉しくないからです。
そのときに得られるのは
他人の評価、世間体だけです。

当然……偶然受かった彼は
大学を8年いることに
なり、結局辞めて今は
プー太郎ですが

その評価が
結果主義の人に
どうされるのかは私は
わかりません。

偶然
何もしていないのに
得られる結果なんて
無数にあるんです。

結果が全ての人生の方では
それで
OKなのでしょうが
それって
自分自身に何か残りますか?
結局は
他人からの見てくれの問題なのです。
結果がでるということは。実際は。

そもそも
「結果」ってどこで区切るの?って
いう話ですよね。
東大を合格したら
その人の人生は終わりでしょうか?
自分の人生ならそうではないですよね。
関わりのない第三者からすれば
それは結果がでて良かったということ
なのでしょうが。

私は授業をしていて
それは
第一志望を目標に頑張っては
います。
でも、実は
第一志望合格よりも
毎日の授業で生徒に伝えるべきことを
伝えたか
問題点を直せたか
生徒はどういう気持ちで
こうなっているのか……諸々の方が
遙かに大切です。

受験結果はどうあれ
本当に生徒が頑張ってくれたら
それが1番嬉しいです。
何よりも1番の財産になっていく
からです。

これは綺麗ごとでも
なんでもなく。
結果主義の人はこれを
綺麗事だというのですが。

私はとにかく生徒に
自分で考えることを強います。
それは
先日書いたように
日本という国が
同調圧力の強い国で
全て御上、世間の言うとおりで
流されて生きてる人ばかりで
「考えて生きてる人間」が
圧倒的に少数だからです。

私は生徒に
どういう状況で思考を
働かせ
どういう考えるアプローチ
方法論があるか
そういうことを基本的には
受験を題材にしっかり教えて
いるのです。

勿論
受験テクニックもやれば
なんでもやりますが
私は
長年この仕事をやっていて
受験結果が思うように行かない
ことくらい
痛いほど分かっています。
受かりそうな人が落ちたり
落ちそうな人が受かったり
様々です。
体調が悪かったりでも
受験は落ちます。
でも、その落ちたという
結果だけが全てなのでしょうか?

言い方を変えると
何も勉強せずにただ受験だけして 落ちた学生と 一生懸命自分の人生生き方と 向き合って努力して 落ちた人の結果が 不合格という事象だけを捉えて 同一視できるのでしょうか
結果主義の人はそれが
できる人です[ふらふら]

私はそうは思いません。
現実や世の中で起こること
というのは不条理なことが
多いです。

その中で
私が確実に出来る
プロセスというのは
生徒と話し合い
いい授業
考える力を提供するという
ことだけなのです。
それがしっかり出来て
受験勉強がある
くらいに私は考えているんです。

勿論
結果自体は大事
第一志望を目標に頑張ったならば
それはその学校へ合格という結果が
でたほうがいいに決まってます。
でも
結果が全てではないです。

合格というのは
正しいプロセスを経て得た
合格でないといけないと
私は考えています。

合格を裏金で売ってくれる人が
いて、それを買う人というのは
本当になんも考えて無い
世間からの見てくれ
他人の評価だけを気にして生きる
結果主義人間なんだとおもいます。

私は他人の評価の中に
個人の幸福は存在しないと思っています。
日本は他人の目、評価を異様に気にする
相互監視社会、モニタリング社会なので
個人の幸福度は世界最低レベルで 低いのだと思います。

私が生徒にこのような授業を
しているのは何故か?
それは広い意味で
生徒には
幸福な人生を送って欲しい
自分だけのプロセス
人生を楽しく歩んで欲しい

私は
そう願っているからです。


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勉強ができるようになるには~言語化するということ [家庭教師のお仕事]

私は生徒によく
なんでも
言語化することを求めます。

わからないところ
理解できないところ

それを言語化することが
非常に大事です。
私達は言語で思考する生き物なので。

この辺を多くの人が曖昧にやってるんです。
ですから
同じ間違えをする
わからない原因がはっきりしない

もし
言語化できない状態であれば
それは
その人にとって
本質的に分かってないのです。

分からない部分が
分かってない
できない部分が分かってない。

ですから
その問題は永久に解決されることは
ないです。

この言語化がうまくできるか
どうかが非常に大切だという
一番簡単な例は
誰かに「教えるように」なって
初めて
その学問でも、科目でも
なんでも
本当に分かるようになる
という経験を大人ならしたことが
あります。

それは何故か?

それは人に教える
相手に伝えるということは
「言語化」して伝えないと
いけないからです。

この「言語化」のプロセスを
ほとんどの人がしないのです。
曖昧なまま
なんとなくイメージで済むので。
だから
同じ間違えを何度もしますし
どこが問題点か分かってないという
ことがおきるんです

私の授業では
生徒にここを徹底的に
追求というか
直します。
生徒に説明してもらうんです。
なんでも
その説明をできないということは
言語化できてない
つまり
解決の俎上にすら上がってない
ということなのです。

ですから
私は感覚で生徒の言わんとしている
分からない部分……それは
経験則でわかりますよ
生徒に確認も取れますし
でも敢えてそれをしません
生徒に私にしっかり伝えられるよう
言語化することを求めるんです。

うざい先生ですよね(笑)

でも
この言語化の習慣がないから
勉強でも
何でも上達できないという人が
たくさんいます。

この言語化を磨くというのは
非常に大切です。

ある同じ出来事があったとして
それをいかに
相手に面白く分かりやすく
伝えられるか?って
その差って
私は直接的に頭の良し悪しだと
思います。

それは頭の中で
言語化というプロセスが
しっかりできてるから

ですから
私の授業ではこのことを
非常に大切にしていて
生徒の説明させるスタイルです。

自分はこの問題に対して
どうアプローチして
どこまでは
わかっていて
どこからがわからないのか……
等々
しっかり「言語化」できれば
かなりの確率で問題は
解決できます。
言語化されてないと考えられないですし
考えもしないのです

こういう
細かいことですが
しっかり思考プロセスを直していった
結果
俗にいうキセキの合格があるのです。
まあ……
それを目的にやってるわけでもないですが。

この言語化トレーニングって
いくらでもできるんです。

例えば
5人の人に桃太郎を読んでもらって
それをどういう話だったかを
それぞれ説明してもらう
この中で一番面白く
お話しできる人は
言語化する力が優れており
それは頭がいいということです。
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再受験生で「好き」という社会勉強 [家庭教師のお仕事]

今年から教えることになった
今年の春まで
外資系の銀行で
働いていた
再受験生の方がいるのですが

私は
就職なるものを
まともにしたことがないので
(駿台はまともな会社じゃないですし
 (笑))
いろいろお話を聞いて勉強になります。

まあ
勿論一般の会社がどういうものが
おおよそ
知識としては知っております。
今までも
保険会社で働いていた生徒もいますし
某会社の社長の方を教えていたことも
あるので

その時の知識もいろいろとあるので……

でも
会社もそれぞれで
それぞれの問題点もあって
そういう話を聞くと
私は非常に面白いです。

正に小説感覚なのですが。

人間って
一つの人生しか歩めませんから

でもそれだけだと
つまらないですよね(笑)

まあ
逆の立場で
皆さんにもプロ家庭教師というのを
体験してもらいたい気持ちの時もあります。

どれだけ
生徒が反抗期で言うこと聞いてくれないかとか(笑)
宿題、問題、自主学習
言っても言ってもやってこない(笑)とか
挙げ句の果てには
受験本番で生徒がやらかしまくるとか
この時の絶望、無力感とか(笑)

でも
こういう言わば
理不尽、不条理を乗り越えて
努力して努力して
得られる
大きな喜びも「ときどき」あるので
年に1回とか
2年に1回とか
そういうものを楽しみに
日日闘って行くだとか

そういうなんていうんでしょ
自分が頑張ったからといって
どうにもならない
わたしが頑張って生徒が頑張ってくれて
初めて
勝負のスタート台に立てるみたいな
そういう
仕事も是非皆さんに体験して頂きたいです。

それに加えて親御さんから
理不尽なことを言われたり
まあ……いろいろあるのです。

結局なんで
こんな仕事を続けているかと言えば
何かの修行でもなんでもなく
この仕事が好きだからです。
教えていて楽しいからです。
苦しいこと嫌なことも
それはありますが
結局それをどう乗り越えるか
どうやったら
生徒が分かってくれるようになるのか……
色々試行錯誤するのが
好きだから
です。

どんな仕事でも
どんな人生でも
1番大切なのは
「好き」だということだと
私は思います。

別に誰かのために
慈善事業でやってるわけでもなく
お金を稼ぎたくて
やってるわけでもないです。
もし
それが目的なら
プロ家庭教師はオススメできません。
全く目的に適いませんので。

ただただ
好きだから
自分はこの仕事をやっていて
それ以上の理由はないです。

ですから
好きだという気持ち
やりたいと言う気持ちが
無くなったらいつでもやめるのです。
他にやりたいことが見つかったら
それをやる
私はそうやって生きていきたいのです。

今年の受験も
難題、難問が山積みです。
生徒が機械で
あれやれこれやれを素直にやってくれたら
どれだけ楽なことか
その辺の生徒との交渉もありますし
うまいこと言わないと
更にへそを曲げることもありますし……
まあ
それはそれは
数学の難問を解くよりも難しいです。

いろいろな
仕事には
いろいろな
難問があると思います。

でもその難問と
向き合えるのも
好きだからだと思います。
ですから
生徒には自分の好きなことを
してもらいたいです。
受験も
好きなことをするための
一つの手段に過ぎません。

ああ
でも
時々
受験自体がゲームみたいで好きだという
生徒もいます。
そういう人って
そりゃ実力も伸びるし
強いですよね
イヤイヤやってる人が多い受験界において。

受験が好きだというだけで
それはそれは
大きなadvantageだと思います。
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ペル方程式さんへ [家庭教師のお仕事]

ペルさんへ
仰る悩みは非常に分かります。
……うーん
長いので記事にします(笑)
あとなんていうんでしょう
非常に抽象的な答え方になるので
その辺はご容赦ください。


授業を進めるにつれ
次々と生徒の穴が見つかり
やるべきことが増え……
全てが破綻しそうになる……
この仕事はその波との闘いのような
ものだと思います。

20年くらい前はメモとか
リストを作ってやってきましたが……
それは限界がありますし
全てを全リストを教えても
生徒に残る部分って
五割とか六割とか
だと思います。

その五割六割を
均等に教えてしまうと
こちらが意図しているものが
生徒の中に残らなかったりするので

生徒が問題を生じる
それをどんどんリスト化して
問題点を解決していく
という方法はとらないようになりました。

私の場合は
ある程度第一志望校を決めてもらって
募集を受けるということで
この辺の整理はついております。
例えば
東大なら東大で
幹になる部分というか
絶対必要な能力、知識はあるので
そこをまず固めて……枝葉へという
形ですね。

この辺は
経験上どれくらい幹を作って
どれくらい枝葉をつけるか
生徒によってもレイアウトは違いますが
そういう感じで
ここに生徒の中に体系みたいなものを
作ります。
そのネットワークと
実際に出る入試問題がかみ合うかどうか?
それが一番の問題です。

生徒によっては
広くネットを広げられる場合もありますし
狭いネットしか張れない場合もあります。
この張ったネットによって
どういう風に全教科勝負していくかですね。

勿論勝ち筋がない場合は
諦めて他の学校……ということになるわけですが
考えれば
何かしらの道はあります。
勿論生徒がしっかり勉強してくれることが
大前提ですが。

試験に満点は必要ないですし
合格最低点を超えればいいわけですし
その個々のネットワークが機能したときに
何点がとれるか
それを大体考えながら
全体を更に作っていく感じです。

このネットワーク作りを
均等に教えると
生徒に任せることになり
それは志望校とは
とんでもないかけ離れた姿に
なったりもするので
それはこちらでしっかりリードして
形を作っていく
カリキュラムで教えるようにしています。

無論
予定、予想通りはうまくいきません。
ここのネットワーク伸びんわとか
生徒が勉強してくれなくて
ここは間に合わないから他でとか
そういうものとの闘いの毎日であります。
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成果主義(後編) [家庭教師のお仕事]

この成果主義の阿呆なところ
それは
少し考えてみれば分かることですが
目標、ゴールは自分で設定して
自分でその期間で評価することだ
と私は言いましたが

実は
万人に共通するゴールがあります。
それは「死」です。
人間は遅い早いはありますが
必ず死にます。
死ななければ人間ではないからです。

人間は
実は「死」という絶対的尺度の
目標、ゴールをもっているのです。
ですから
成果主義が意味のないことは
成果主義を万人で上手く機能させる
唯一の方法
それは
自殺、死ぬことだからです。

人間の命が限られていること
限られているから
真剣に生きられます。

どう生きたいか
どんな自分で死にたいか
を考えること自体
成果主義とは矛盾するのです。

私は
第一志望合格率75%を目標に
毎年闘っていますが
これが達成できた年は
私がいい仕事をして
達成できなかった年は
いい仕事が出来なかったのでしょうか?
失敗は悪でしょうか?

私は全くそのようには思いません。

自分が生徒に向けて
真剣に投げかけてきた
ひとつひとつの
教え、指導に対して
常に自分のできる限りのこと
その時に考えられる
全てをぶつけて臨んでいるんです。
ですから
失敗したとか
そういうことは一切思いません。
勿論
何か自分を前進させるものが
あって
それがあれば私は反省します。

でも
失敗した年の自分が悪かった
なんて考えは一切ないです。
それは全力で闘ってきたので。

人生って
全てがcontrol下にあるわけではないです。
当たり前ですが。
神様でもcontrolできません。
ですから
仕方ないのです。
最善を尽くしても上手くいかないことがある。
野球選手を目指していても
いろいろ日日運の要素
自分ではどうにもならない要素ばかりなのです。

究極的に
死というゴールも自分では
どうにもならないのですから。

ですから
最善を尽くすことが大切で
成果はある意味どうでもいいのです。
どうにもならないので。

私が精一杯教えて
昨年度もそうですが
入試でほとんど……これ授業で
最近やったんじゃない?
問題が出題されても
出来てくる生徒、へぐってしまう生徒が
いるんです。
これはもう
私はやることをやりましたし
生徒も、もし両方やることをやったので
あれば
人間だから偶然記憶が飛んだり……いろいろ
あって
それは仕方ないのです。

慰めでもなんでもなく
受験結果が人生のゴールでは
ありません。
落ちても受かっても
その短い目標設定に対して
成功不成功があるだけで
それ以降の
人生を保障するものでもなんでも
ないのです。

失敗したら失敗したで
新しい目標をたてて
それに向けて日日がんばればいいのです。

去年
三冠王の村上さんが
今年酷い成績だから
去年が成功で今年やった
努力が全て失敗、無駄ではないのです。
去年より
今年積み上げた練習は
必ずプラスになっているのです。
今年の結果は瞬間の表層でしかないです。

それを理解して
短期的に結果に一喜一憂せずに
頑張って行くことが大切です。

実は
私のプロ家庭教師のお仕事
指導は
そういう考えられる
知性を身につけてほしいと
思って
そういう工夫を1番多くしています。
ものごとの
考え方捉え方は
得意不得意があって
その中で自分はとういう考えをしていけば
いいのか?
そういう試行錯誤を私の
授業ではしてもらっています。
そして
この練習は受験という成果以上に
人生で大きな財産になる
と私は確信しています。

ですから
私も目標は短期的にでも
第一志望合格率75%ではないです。
スローガンとしてはそうですが。
それよりも
一コマ一コマの授業で
生徒をいかにimproveしてあげられるか?
それが私の本当の
プロ家庭教師のお仕事だと思っています。

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成果主義(前編) [家庭教師のお仕事]

私は成果主義ほど
馬鹿げたことはないと思います。

先日大谷さんの
お話を書きましたが
大谷さんとて
これから
成績を残せない年も
今までもそれはありましたが
うまく行かない年も
あると思います。

でも
それは失敗ではないです。
成功するためのステップだと
考えるべきだと私は思います。

勿論
仕事で成果をあげられなければ
失敗
なんにもプラスになることなんて
ない
結果が全てだから
こう考える気持ちもわかりますし
ある物事について評価するので
あればそうでしょう。

私の仕事でもそうです。
生徒で今まで
模試でもなんでも成績が良かったのに
本番で落ちてしまう生徒
みたいな生徒もなかにはいます。
その生徒にとって
受験で合格……というゴールを設定
して努力してきたので
成果主義で考えると
失敗、全ては無駄だった訳です。
かけた時間も労力も

何かで失敗したとき
人間がこういう愚かな成果主義に
頭をやられます。

プロ野球選手になるのが夢で
一生懸命練習したけど
なれずに
トラックの運転手をしている
最初から
そんな夢を持たずに
地道に努力をしてきたら
もっといい人生だったのにとか

結果が
悪いと成果主義で
自分の人生をタラレバする
ことがあります。
気持ちは分かりますが
それは大きな間違いです。

それは何故か?
成果というのは目標に対して
あるものです。
要は目標の立て方次第で
成果は変わるんです。

私の目標を
毎日一万歩歩くこと
期間は二日前から今日まで
これなら
私は成果をあげて
大喜びです。
でも、実際はそのまえ三日は
雨であまりあるけませんでした。
でも期限を切ることで
成果を「上げた気になっているのです。」

成果がでるかでないかは
実が目標、ゴールの立て方次第です。

受験で第一志望に落ちてしまった
今までの勉強が無駄だったと
考える人にいいたいのは
あなたの人生の目標は
大学という勉強のスタートラインにたつ
ための切符をとるだけなのですか?

それを成果主義で
人生を生きる……
これはいくらなんでも視野が狭すぎます。
そして
大学入学にそういう成果主義のゴールを
置く人はその後上手くいくことはありません。
中学入試で良くおこることですが。

ですから
私もよく生徒に慰めで言ってるわけではなく
人生で使える考えた方
人生で使える勉強方法
知性を身につけてほしいのです。
そのための講義を本当は私はしているのです。

これは慰めでも何でもなく
目の前の第一志望に人生のゴールを置くな!
ということです。




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この仕事をやっていてキツイこと [家庭教師のお仕事]

この仕事をやっていて
1番キツイことは
生徒が私の言った基本的なことを
しっかりやってきてくれない
ことですね……
これが1番受験が失敗しやすいです。

そもそも
私はあまり宿題は出さないです。
以前にも書いたかと思うのですが。

ただ
どうしても建物を建てる上で
基礎になる部分は
やってもらわないと困るんです。

素直にやってくれる生徒はいいのですが……

なんだかんだで
なかなかやってくれない生徒がいます。

やらない理由はいくつか分類されますが
その代表的な理由が

「私の課題が見かけ基礎過ぎる」

これは……本当に困るんです
私から見て
明らかにその基礎が足りてないから
御願いしてるのですが
やる本人からすれば
「こんなの当たり前」なのでしょう
私から言わせれば
そう思ってるからできるように
ならないのですが
この部分で食い違った場合
キツイです。
私も沢山説明しますが……必要性を
それでもやってこない生徒もいて
そうなると他の回り道戦略が必要に
なっていきます。
もうそれでも
自分がやりたいようにやる生徒は
それでお任せして私が折れて
やってくしかないんです。

だって
例えば私が強制的に何か
やらせたとしても
強制的にやらされたことって
ほとんど身につかない
無駄な時間なので

これはもう
どうしようもない
ただただ説明して御願いするしかなくて
それが無理なら
時間が勿体ないので迂回するしかないんです。

でも結局その部分を無視したことが
最後の時期の伸びに影響したり……するんです。

この部分で生徒と揉めると
かなり厳しい戦いになります。

私が
敢えてなんでこんな基本を御願いするか???
それを考えてもらいたいんです。
何故宿題を出さない私が御願いするのか???

それだけ超重要で
受験の合否、成否に大きな影響を
及ぼすからです。
こういうのって
本当に自分の勉強
予備校やなんやらで
気がつきにくいので
私が言っているのですが……

まあ
最悪授業に組み込んでいく……という
方法もありますが
これはでも
本当に最終手段というか
できれば
自分で出来る課題だと思ってだしてるので
自分で何とかしてほしいです。
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必要最低限度のこと [家庭教師のお仕事]

私は
あまり宿題を沢山だしたくない
タイプです。
生徒が自分で色々やることを含め
生活や勉強のマネージメントを
してほしいからです。

ただ……
どうしても
必要な基礎はやってくれと
いいます。
問題集でもなんでも……
それでやってくれないときは
結構しつこく言います。
別に大量に何かを課してる
わけでもなければ
まずはそれができてくれないと
授業が進まないので

ただ……
生徒が皆
私の言うことを聞いてくれる
わけではありません。
半々くらいかもしれません。
聞いてくれるのは。

でも
絶対に必要なことだと思って
こちらは言ってるので
手を変え品を変え
問題集を含めやってくれと
お願いするのです

それでも
自分のやり方みたいな
ものがあるのでしょうか……
やってくれない生徒がいます。
そういうときは
ある程度そこは捨てるか……
捨てられないですが
時間をおいて
他を教えてから戻ってくる
または
授業の中で授業を増やして
私が教える
みたいな形になっていくのです。

私は
あまり宿題はださないですが
絶対にやってほしいことを
やってない場合
結構圧をかけます。
その圧が生徒には極めて
不評ですが
不評だろうがなんだろうが
それが出来ないと
進まないのです。

それを分かってもらって
自発的に進めてほしいのです。
本当は
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対応力が増しました(前編) [家庭教師のお仕事]

なんだか……
自分でこんなことを書くのも
なんですが……

年々
生徒によって
どうすればいいのか?という
対応力が上がってきてると
思います。

特に受験生でですが。
どういう風に組み立てて
どういう道筋を教えれば
最終的にどういう問題が解けるように
なる
とか
そこでどういう課題が生まれる可能性が
あるかとか
よく分かるようになってきたと思います。

今年授業していて
自分でこの教え方
方向性は素晴らしいなあと
思ってしまうことがよくあります[わーい(嬉しい顔)]
最初の五年くらいは
おそらく真逆のことを
思うことが多かったと思いますが(笑)

この仕事は経験論があてにならない
というか
例えば東大志望なら
ある東大向けの方法があって
それに沿ってやっていけば
大体合格できる
みたいな夢のような楽な話が
あればいいのですが……

そんなことは現実にはありません。
臨機応変に生徒によって対応して
いかないと
ゴールは見えてこないのです。

ある生徒でこういう方法で
うまくいったから
この生徒にも適応して……って
できたら楽ですよね(笑)

そんなことは起きないです。
100%と断言できます。

それは受験の出題の方も
時代によって変わっていくからです。
今の東大と
十年前の東大
いや五年前の東大でもいいですが
問われる力は全く違います。
まったく違うにもかかわらず
五年前の生徒でうまくいったから
この方法で……とか
当てはまるわけはないんです。

ずっと同じ試験なら可能性は
ありますが……
それでも人が違うので
やっぱり違うとは思いますが

違うの二乗違うので

誰かでこう教えたからとか
過去こういう方法でうまくいったからとか
そういう経験論はほぼ役に立たないです。
というか
それを捨てるのが1番大事だったりもします。


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問題が解けるということ [家庭教師のお仕事]

問題が解けるということ
はどういうことであるか?
これが
私の仕事の最大のテーマと
言ってもいいです。

ある問題があったときに
解ける生徒と
解けない生徒がいる
その差はなんなのか?
どうしたら解けるようになるのか?

その問と
闘い続けた20数年だと
言っても過言ではないくらい
私の仕事において
このことはメインテーマなのです。

私は以前生徒の解き方を
見る、診るみたいな
ことを書いていた
時期があると思います。

ただ
これは私に大きな誤解があったな、と
ここ数年生徒の問題の解き方
出した答えを見て思うのです。

どういう風に考えるか
思考を追えるということは
どういうことか?
それはその時点で生徒が
筋道を立てて
しっかり
まずこの方針で問題を解いて
無理ならばこの方針で
みたいに
解いている場合だけなんです。
実際は。

私は以前は
言わば世間知らずというか
生徒はそういう風に基本
考えているものだということを
前提に
どういう思考を働かせているか
その筋道をどのように直せば
いいのか
を必死に考えていたんです。

ただ
家庭教師を
15年くらいやってきたときに
色々、この方法について
疑問を自分で感じ始めたんです。
それは
私が教えてる生徒が
特別なのかそうでないのかは
分かりませんが
人間
そんなにそもそも筋道を立てて
物事を考えて無い
ランダムな思いつきみたいなのが
浮かんでは消え
浮かんでは消えながら
ああでもない、こうでもないと解く。
つまり
問題に対して
戦略的にアプローチしていない
それが
むしろ普通なんだということです。

言わば
思考の筋道など
大半の生徒では
勉強が出来ないうちは
特に
存在しないんです。

その存在しないものを
仮定して
私は自分なりに問題を
つまり「生徒が問題が解けるということ」
に挑んでいたんです。

それに五、六年前に気がついて
色々と
アプローチを変えたんです。

それはまず
問題というものが
どういうものであるか?
問題を解くということ
これは入試においてですが
はどういうことなのかを
生徒と授業の中で一定の
consensusを見つけて
すりあわせをする。
それに対してどう
アプローチするかを
生徒と話し合う

こういう一つの
言わば例を
生徒に見せることで
おかしな、つまり
筋道の立たない
考え方をする
生徒は減りました。
また教えていて
その思考過程、筋道が
しっかりできて
解答に生徒が至っている時は
大きな手応えを感じるんです。

その問題が解けたか
解けなかった以上に。

ただ難しいのは
1回できたからと言って
常にできるわけでもない
ということです。

これは問題が解けるとか
そういうものではなく
私が教えてきた アプローチ自体を生徒が忘れてしまう
元の生徒なりの自然流の解き方に
自宅学習の中で
勝手にもどるということが
起きるんです[もうやだ~(悲しい顔)]

これは一体どういうことでしょうか……
親和性みたいなものですかね
やっぱり自分の今までやってきた
癖というのは抜けにくいのでしょうか。

自分で
思うがままに考えた方が
問題集を解くときはできる
それでいいと思ってしまう。
そういう練習を自分でして
また
ふりだしに戻ってしまう
のでしょうか……

数学に限らず
受験科目というのは
「考え方」がある意味
よく似ています。
国語に近いです。
ですから
その考え方自体をしっかり身につければ
自ずとそれに+α努力をして
知識をいれるなり諸々をしていくと
良くなっていくのです。

はじめから
これが出来てる生徒はもれなく
成績はいいです。

ですから
私が思考の流れを追ってきたのは
ある意味
間違えた方法であって
そもそもの流れ自体が存在しない
私の思い描いた
偶像、モデルの中での話であって
それが
おそらく偶然上手く機能していたので
この方法で続けてきたのだと思います。

ただ
ニュートン力学みたいなもので
なんとなく
齟齬がでてくるわけです。
生徒の成績の伸びが悪くなる。
思考の流れを追って
それをこう直すように
言っても直らない。

それは私がこの
「生徒が問題を解ける」ということを
間違えて解釈していたのだということが
ここ五六年で分かりました。

今はもう違った方法で
やっています。

昨年の東大理三に合格した生徒も
京大医学部に合格した生徒もそうですが
特に理三の生徒は
根本的に問題の捉え方が間違えてるので
それを徹底的に直しました。

そうしたら
自分で筋道を立てて
数学や理科でどんどん自分で
最後の答えまで
完答できるようになっていったのです。

この全ての問題を
完答できるかどうか
これが一つのバロメータにはなります。
なぜなら
入試問題というのは
そのようにしっかり考えられた人は
完答できるように出来ているからです。
(勿論そうではない……悪問も沢山
ありますが)


私は今年の生徒もそうですが
新しく
生徒が問題が解けるということ
という
至上命題に挑んでおります。

昨年は昨年でうまくいきましたが
もっと掘れば
でてきそうな気はするのです。
もしかしたら
答えがない
不完全性定理に
抵触するような問題
なのかも知れませんが。

これがプロ家庭教師をやっている間の
私の最大の研究テーマです。
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募集方法を見直すかも [家庭教師のお仕事]

募集の仕方の見直しをするかもです。
昨年度
今年度始め
プロ家庭教師生活20年
初めてといっていいほど嫌なことが
起こりました。

なんだかね……という感じですが

今までは
人を信頼して
指導を始めたら責任を持って……
まあ
何とかやってきて
それで奇跡の合格や色々があったのも
事実ですが……

なんだか
ほんとうにヤバいお宅に当たると
私も尋常じゃない
無駄なエネルギーを使いますので

普通に教えて
普通に合格を目指して頑張りたいので

何か方法を考えて
一ヶ月くらい
仮運転でやってみるとか
方法を考えてみたいと思います。

まあ
対策というか
今年は弁護士の人とかなりお話をしました。
現状
私のスタイルのままで
何も問題はない……らしいのですが

なんだか
色々嫌な思いもしたくないので
そうならない方法を考えます。

月1ルールも最初はありませんでしたし
結構自由にやっていました。
その自由を悪用する人に
長年やってれば確率的にあたり……
その時に
色々大変なことが起きたので
ルールが作られたのです。

やはり
社会というのは
法律が少ない方がいいですし……
そうあって欲しいと願うばかりです。

まあ
少し考えます。
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テキスト作り [家庭教師のお仕事]

今年も
せっせと
生徒が「今」解くべき
問題を作って
提供しています。

on-line授業によって
より
細かく提供できるように
なった

私の負担増

ですが[たらーっ(汗)]

私の負担が増える
分には仕方ないです。

頑張ります[パンチ]
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面談 [家庭教師のお仕事]

生徒のお母様から
ご希望があって
久しぶりに面談なるものを
やりました[わーい(嬉しい顔)]

基本的に
色々な要望があれば
できる限り応えていくのが
私のスタイルなので

授業を増やして欲しいとか
国語も教えて欲しいとか

できる限りにはなりますが
対応していきたいです。

面談……
過去に1カ所か2カ所……
これは
指導前は皆さんやりますが
それ以外でですが
やったことがありますが

何だか久しぶりにやったら
新鮮でしたね。

まあ……
私はあまり人と話すのが
得意ではないですし
なるべく
人と話しをしたくない
タイプではありますが……

まあ
色々経験、勉強ですね[わーい(嬉しい顔)]

八月になりましたし
頑張って行きたいと思います!
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開成ダブル受験で思ったこと [家庭教師のお仕事]

私の生徒で受験校が被るというのは
今まで珍しかったです。

その理由は
私が同じ過去問や説明をするのが
飽きるから(笑)
まあ、これは半分冗談、半分本気ですが

女子の生徒等で
結構比較されるのが嫌いな生徒とか
もしくは
他の同じ志望校の生徒いると相手のデキが
異様に気になるとか
そういうことを言われる場合もあるので……
これも
まあ、それに全部従って
生徒は選べないので、半分採用半分不採用
みたいなものです。

ただまあ、色々言われてきて
少し気になっていて同じ学校受験をみるのは
避けてた部分はあります。

でも、実際
受験校や第一志望は変っていく場合もあって
結果として被ってしまう……っていう場合もありますよね。

去年の開成W受験はそういう感じでした。
元々1人は四年生から塾等にいって
五年生から少しだけ私がアドバイスしていて
それで六年生で本格的に見るようになりました。
この生徒は4年生から開成志望です。

そこで
もう1人内部進学の小学校の生徒がいて
この生徒は普通に学校の内容を五年生の終わりから
教えていたのですが……
いつだったか……忘れましたが、春頃かな
ゴールデンウィークくらいかな
急に中学受験をすると言い出しまして(^0^;)
まあ、私は厳しいぞ~って思いましたし
言いましたが
ご家族もいい経験だから、経験値を積むつもりで
頼むと言われまして……

それで2人開成志望になりました。

元々四年生から開成志望の生徒は
当然驚いていましたが
私の方が急な受験計画を持ち込まれてもっと驚きましたが
まあ……なんだか
これはこれで結果
相乗効果を生んで
両方受かってしまいました(笑)
いい関係だったと思います。
また
on-lineのおかげもありますね
もしon-lineで授業が出来ていなかったら
断ったと思います。
授業数が確保できないので。

まあ……
ただ嫌ですよね
片方受かって片方落ちるとか……
そうなると
なんだか……
私も何か言われる可能性もありますし……
親御さんに。
怖い怖い。

そういう危険なギャンブルをやる必要があるのか?
というお話ですが
これは片方を断った方が得策なのかも知れません。
後から開成の生徒を……。
落ちた方に怒られるかも……しれないですし
相手が受かっていい気分はしないでしょうし

ただ
2人とも私の授業を楽しみに
一生懸命頑張ってくれてますし、
これはこれで切れないです。
またそういう権利もないですし。
どちらか1人を選ぶのも難しい。

また、片方にばれないように
情報を隠しておく訳にもいかないですよね
志望校の。

私は皆さんご存じの通り
こうやって受験校も合格校も
ブログで公開してやっていますので。
勿論、どうしても嫌だというの生徒は
載せないですが……
実際そういう生徒は稀です。

まあ……でも
ドキドキでした。

こんなこと言うと問題発言ですし
私の実績的にも困りますが
片方受かるなら
両方落ちた方がいいかも……って
合格発表待ちの時に
思ってしまったこともあります。
勿論、生徒を試験に送り出す前は
そんなことは思わないですよ……
でも……ね……うーん
難しいです。

今年は東大理三を受ける生徒
京大医学部を受ける生徒
2人おりますが
両方とも東大にする……とかないですよね

今年は東大受験生が多い年でもあります。
文系もいますし、普通の理科1類もいる。

私の家庭教師生活稀にみる
東大年なんです。

まあ……そうなってしまったんですね
ただやるからには
全員合格をしたいです!

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大学で教えるかもです [家庭教師のお仕事]

来年から
週1回くらいですが
もろもろの
しがらみがあり
大学で講義をしなければ
ならなくなるかも知れません……

あまり気が進みませんが
義務として(笑)
皆さんに入試問題の
内部情報を流せるくらいの
有名な大学ではないですが
知り合いというか
恩人というか
その人の都合で
週1回くらい……
やらなければならなくなる
かもしれません……
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生徒が増えて [家庭教師のお仕事]

今年はオンライン2年目
生徒数も増えまして
現在やることが多いですが(^0^;)

ただ……
昨年というか今までの反省みたいな
ものですが
今までは結構授業内容とか
結構考えて考えて先読みして
やってましたが
昨年度改めて分かったのですが
生徒の解くスピードとか
新しい課題とか
授業をすると生まれてきて……
その都度1人ずつこれを直して
いって考えると色々な意味でパンクするな……
って思いました。
私がですが(笑)

昨年度など9割以上
私のイメージ通り生徒が進まないですし
それによって色々
考えすぎないといけないこともあるので
ちょっと発想の転換といいますか
いいことを思いつきました。

なんか
このこと書いて今
失敗したと思ってます(笑)

いや……
いま、忙しくて内容を書くのが
大変だなあって
でもこんなこと書いたら読者の方々
気になるだろうなって
黙って今日も
「水曜日感」に題名をしておけば
良かったです(笑)

昨日急に夜中に授業を頼まれましたり
今日は今日で一日ありますし
それぞれ生徒が抱えている問題も違うので
多元連立方程式を解くつもりで
やっていきます[パンチ]

しばらく
コメント対応出来ないので
楽しみにされている方
ごく少数の(笑)

申し訳ありません!
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目の色を変える [家庭教師のお仕事]

今年は
オンライン2年目になりますが

去年の反省
&
去年より
生徒数が増えておりますので

Googleカレンダーを
新しく二つ
導入して
生徒を分けて
その二つで今年は運用しております。

これはGoogleカレンダーで
生徒の
色を割り当てるのですが……

例えば生徒が10名おりますと
色を十色
割り当てますよね[あせあせ(飛び散る汗)]

そうしまうと
十人十色という
諺ではないですが

カレンダー上に
10色が配置されるのです[もうやだ~(悲しい顔)]
これってどう考えて見にくいですよね……
私が色に弱いのかも知れませんが……

そこで
今年は
7人8人と二つに分けました!
それぞれ
10色からあまり下がってない
気もしますが……(笑)
それでも
体感結構ちがうものなのです

今年は今年でまた
色々な問題が出てくるとは
思いますが
それを解決しながら
自分なりにうまい方法を見つけて
いきたいです[わーい(嬉しい顔)]


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