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追悼文(最終編)さらば [雑感]

11月に中2の私たちの代になって
練習は本当に厳しくやりました。
私がキャプテンだったので
顧問の先生は練習中水を飲んだらいけないというのですが
普通に倒れますので
私が色々後輩や同級生に策を授け
交代で飲みに行くようにさせました。
まあ、キャプテンっていうのは好きではないですが
不合理不条理を正すにはそれなりの立場にならないと……
と思ったので、結構意図的にキャプテンになるように
頑張りました。誰にも殴られたくないし、誰も殴りたくない
暴力は暴力を産み続けるだけなので、誰かがこの連鎖を止めないと

そして
とにかく全国大会優勝
それを目指して、
まずは地元の同じ地区の
超有名選手がいる学校を倒さないと……で気合いを入れて練習をしました。
(この追悼とは関係ないので
私の中三の野球の結果は、まとめて書いておくと
春は同地区のライバルに1-0完封で勝ち
県大会も優勝して、関東大会は群馬県に
延長12回0-0からの特別ルールで負ける
夏の大会は区大会で
顧問の先生の???采配で、多分県大会で優勝して
調子に乗ったんだと思いますが
二軍を出して、地区大会2回戦で負けて帰ってくるという……
携帯電話がなかったので……9-4で[ちっ(怒った顔)]
それで私たちの代わりに川崎市で勝ち上がったライバル校が
全国大会まで行って全国三位
再度この学校とは
川崎市の秋の大会で決勝であたり
0-0で雨天途中中止で翌日1回からやり直しで1-0で勝ちました。
全国大会……行ってみたかった……確か広島開催でした)

時を戻そう

私たちが中三になる年の3月
毎年恒例のOB会があります
何年先のOBでもいいのですが(自由参加)
大体が高校で野球をやってる人が集まって
現役の私たちと硬式で野球をするという
毎年の恒例行事があるのですが
無論私は投げません
キャッチャーが硬球で投げたら怖くて泣くので(笑)
大体この試合例年現役組が負けます。
大学で野球をやってる先輩とか横浜高校とか堀越とか
甲子園常連校にいった
シニアから席だけ野球部で行った人とかが
がちでやってくるので中学生相手に(笑)
老人も来ます、監督枠で(笑)

まあ
現役生に世の中の厳しさを教えてやる
試合みたいですが
正直みんな面倒いなあって思ってました。
試合後に老人達の説教もあるんで[たらーっ(汗)]
もっと真面目に練習しろみたいな感じの
うざいうざいうざい

まあ、それで嫌々試合に臨んだのですが
ふと気付いたのです
んんんん……
んんんん……、相手にA先輩がおる!
生きていたんだ(笑)
良かった~って思って
挨拶に行きました。
(多分当時家の学校の野球部だけじゃないと思いますが
先輩を100m以内に見つけたらそこで大声で挨拶が基本)

そしたらA先輩が
私に「今日はお前は投げないのか?」
というので
「まだキャッチャーが練習不足で&硬球は痛いって……」
といったら
「お前、ふざけんなよ、俺が受けてやるから
お前が投げろって……」
そこで掟破りのOB参加の現役チームで
初めてガチでA先輩と試合でバッテリーを組むことになったんです
[わーい(嬉しい顔)]
投手1人三回までルールがあったので三回しか投げなかったですが

私は多分
この試合が(遊びですが)自分がやってきた野球人生の中で
1番のピッチングが出来たと思います。
初めて硬球を投げましたが、すごく投げやすくて
私のスピンのかかったストレートが活きる感じで
ボールが地面にぶつける感じで投げるとホップして
低めに決まりました。
6者連続三振で
A先輩もフレーミングが凄くうまくて、ボールも全部ストライクに見える

そもそも審判がストレートに顔を背けながらストライクといった
球も何球かあったので
完全にチートだと思いますが(笑)
本当に今振り返っても人生で1番ボールが
走ってたと思います。
それにキャッチングがうまくて本当に気持ちが良かったです。
なんでこの人本気で野球やらないんだろうって思いました
私よりはるかに才能もあったと思いますし。

嫌なOB会ですが、この時のピッチングもあったのか
関東大会の成績が良かったのか
受験の時は五校から野球推薦がきていました。
勿論蹴って一般受験で世に言う進学校に入ったわけですが。

それで三回を0点に抑えてベンチに戻るとき
A先輩に「こんな球打てるやつはいないから
ちゃんとキャッチャー鍛えて全国優勝してこい!」って
言われました
私はそれは「命令ですか?」って聞いたら
めちゃくちゃ笑ってました。

それがA先輩の私の見た最後の姿です。
どこの高校に行ったとか
どこで働いていたとか一切知りません

私は元々あまり人と交流したくない性格で
誰かと遊ぶというのも苦手でしたし
1人で物理とか数学をやっているのが1番幸せで
周りの人にそんなに興味がなかったですし
基本この頃の思い出って辛い思い出で
今はこうやって普通に書いたり、授業で話したりできますが
30歳超えるまでは黒歴史で
殴られたトラウマとかなんか色々ありました……
30過ぎたら人生に諦めがついたのか(笑)普通に話せるように
なりましたが

そんなA先輩が事故で亡くなったことを一週間くらい前に
聞きました。
その話を聞いても最初は「そうか……まあ人生の長さは人それぞれ
だよな……」くらいにしか思いませんでしたが
時間と共に色々な思いが駆け巡り
色々なことを思い出し
この長い長いブログ記事を書くに至りました。

野球って
どんなに速い球を投げられても
それを受けてくれる人がいないと成立しません。

人生も
どんなに能力があっても
それを受けてくれる人、社会ないと
その能力は活きません。

一人では生きられない、活きられません。
人生のどんな場面でも投手がいて捕手がいる。
そういうことをA先輩に教わっていた気がします。

今日、朝の散歩でこの最終章を書く前に
昔の中学のグラウンドを見てきました。
生意気にピッチャーマウンドがありました(笑)
このグラウンドで、どれだけ夢を見て
どれだけ練習をしてきたか……

A先輩がどのような人生を生きて
どのように亡くなられたかは全く知りませんが

これから毎日
拝みおじさんの隣でご冥福を祈るか(笑)
https://katekyo-pro.blog.ss-blog.jp/2022-04-11-1
ちょうど拝みおじさんの祈ってるところって
A先輩と同学年の方の床屋なので……ある意味
都合がいいかもしれません。
私が隣で拝み始めたら……拝みおじさんは
どういう反応をしますかね?(笑)

まあ
そんなことしたら、A先輩に
天国でフルボッコにされますね(笑)
また、私の全力投球を受けてください。
お疲れ様、本当にありがとうございました。
合掌
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追悼文(後編) [雑感]

いよいよ中学2年の秋の大会
A先輩とバッテリーをくんで
頂点へ、
この頃毎日の練習が完全に義務ではなくなり
楽しくなりました。
先輩達も次々に骨折者がでて
私たちを殴らなくなりました……(笑)
これは私がヘディングみたいに額でパンチを受けると
ボクシングでもよく骨折するけど
殴った方が痛いよ、と
話を皆にしたのが
きっかけかも知れませんが……
先輩が三人だか四人だか拳を骨折されて
野球部も時期的に辞めていきました。
大会に出られないですからね。
それで殴られることは激減しました。

それで個人的な進化としては一つ
私は元々小学校の体育の時間で
カーブがどう曲がるか……研究しておりましたので
野球部に入る前から
カーブは得意でした。
いかに相手側に近づいたときに急激に曲がるか……
ですね
当時コントロールはついてなかったですが
キャッチボールの時に
色々な人に投げて取れる人がいないですし
こちらから見ても、ドロンと落ちて曲がるので
これは、秋の大会前くらいに……こんな球種もいけますよ
みたいに、A先輩をびびらせてやろうと思って内緒にしてました。
大会前のブルペンでね……うふふふ

が……なんと
夏休み以降……
A先輩が野球部の練習に来なくなりました
[がく~(落胆した顔)][がく~(落胆した顔)][がく~(落胆した顔)]
学校にも来なくなりました。
顧問の先生に聞いたらどこかで喧嘩でもしてるんじゃない?とか
秋の大会は市だけの大会なので
(春は関東大会まで、夏は全国大会まで、秋は市の大会でした
出ると受験に落ちるので死の大会と言われてましたが)
流石に中三で出るのが面倒なんじゃない?とか
皆は言ってました。

そ、そんな~~[もうやだ~(悲しい顔)]
やっとひとかどのボールが投げられるようになって
きたのに……
それで、中三のエースの先輩もほとんど引退状態でしたので
私が投げる予定でしたが……
ここで、キャッチャーいない問題が浮上して
一応同学年のキャッチャーで練習をしたのですが
痛すぎるのと怖すぎるのと
時々ショートバウンドして、ぶつかり泣きだしたりして……[あせあせ(飛び散る汗)]
監督も流石に危ないから
お前はファーストをやれということで
ファーストになってしまいました……
A先輩どこにいったんだろう
ハチ公の気分ですよ……
(このキャッチャー問題、高校野球の時も起こりましたて
入学して最初の練習で思いっきり投げたら、キャッチャーが手首を
痛めて[もうやだ~(悲しい顔)]一ヶ月くらい練習を休んで
そこから結局、私は本気で投げることはほとんどなかったです。
最後の試合だけ球速が出てましたが……140㌔前半では投げてしまって
いましたが、取るときキャッチャーが試合中でも「痛て~」って言うんですよね[たらーっ(汗)]

それで中学2年の
秋の大会は区大会は優勝して
市の大会の2回戦くらいで散りました。
私はホームランを4本だか打ったと思いますが。

それで
先輩達は引退
私たちの代に代替わりして
キャッチャーを今度は鍛えるという(笑)練習が
始まりました。まあ、私も加減して投げることを覚えたので
そんな全力で投げなくても抑えられますし
ここって言うところで一球ズバッと投げる方が効くなあと
思って……

次回に続きます
後編なのに(笑)

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