追悼文(中編) [雑感]
A先輩とバッテリーを組むことになりました。
それで
野球を始めて実質一年生の私(^0^;)
中学1年って私の代は一度もボールを握らせてもらえません
でした。雑用か賭けの対象、筋トレ
あ、声出しというのもありましたね
2時間一列になって「ウォーイ~」みたいに
叫び続ける
他の部活の人からは狂った野球部員の遠吠えと言われ
嘲笑の対象でしたが。
でも、私はこの声出しが得意で中二のキャプテンになったんです
(笑)発声練習みたいなものですからね。
そのとき自分の出してる音の高さとか
気をつけながら、そういうピッチ(音程)コントロールの
練習もしていました。
これもピッチング練習ですね
ですから中学2年になって初めて「ボールなるもの」を握って
投げ始めたんです。
それで、最初はコントロールが滅茶苦茶ですわ
キャッチボールはまだいいのですが
マウンドから投げると、誰もがびっくりするくらい
大袈裟ではなく
バックネット裏に突き刺さる
三塁側のベンチ付近や
ネクストバッターズサークル、この辺も
スナイパーブッチーの標的ですわ(笑)
A先輩はあまり練習には来ないので……
助かってた部分もありますが(^0^;)
ばれないので(笑)
ただ、やがて運命は巡り来る……
ちょうど
ゴールデンウィークの練習試合
ダブルヘッダーの2試合目で
満足に投手練習もしていない、私は急にデビューすることに
なったんです
A先輩とバッテリーで
そこで初めてボールを受けてもらった?
(キャッチャーミットに収まる範囲にボールを
投げられなかったような)
んです。
A先輩は
「とりあえず、打たれてもいいし
コントロールとか色々気にせず
全力で投げてこい」と言われたので
素直な私は全力で投げました
コントロール?気にする?どういう意味だろう?
とりあえず構えたところめがけて全力で投げればいいのね
って思って。全力で投げました。
四球、四球、四球……3連続四球……
で
いきなり満塁になり、全くストライクが入らず……
それで投げていて
なんとなく相手にも
自分のチームにも申し訳ない気持ちが
高まってきて
何球目だったか
バックネットにボールを投げてしまい
マウンドを降りて
帽子をとって、謝ったんです(会釈)
そうしたら……次の瞬間
鬼の形相のA先輩がマウンドまで走ってきて
(この時のダッシュがA先輩史上最速のダッシュ力だったと
思います。)
公開処刑ですわ
「ピッチャーがマウンドから降りて
相手チームに謝るんじゃねー」
みたいなことを言われて、ボコボコにされて
周りが止めてくれて
それで
私のほろ苦い、いや苦すぎるわ!!口の中は切れましたし
デビュー戦がおわり
次の日から
A先輩とマンツーマンの
恐怖のプロ家庭教師並の(笑)個人指導が始まりました。
ブルペンで
A先輩が構える、そして私は投げるのですが
A先輩はピクリともミットを動かさず
「構えたところしか取らないから、それでもし
俺の体に当てたら、一発は一発だから
その分殴り返すから」
という魔界でしか行われてこなかっただろう
悪魔の練習が始まりました。
殴られた殴られた
顔面パンパンに腫れて帰ることもよくありました。
うまく当たる前に引けば痛くないのですが
そもそもA先輩は私の140㌔くらいのボールをグラブで受けないので
身体で被弾してるので
それはそれで申し訳ないので(そっちの方が多分痛い(^0^;))
「一発は一発」
要は私が構えたところに投げれば
誰も痛くないわけで、殴らせるのも嫌で
そこから自分でも真剣に練習しました。
そうしたら、大体ボールを離す位置を身体で覚えればいいんだな
って分かって。
どこで離せばどこにいく
これを徹底的に覚えました。
当然夏の大会には私は出る幕はなく
(ただ代打でホームランを打ちましたが
等々力球場で。)
先輩達は基本
A先輩以外練習してない不良なので
(A先輩も練習はしてないですが
めちゃくちゃ打つ)
2回戦で負けました。
それで私の住んでいる川崎市には
川崎市だけの大会というのがありまして……
10月に(^0^;)
中三野球部は他の部活よりずっと遅い
中三の11月引退なんです。
そこから受験勉強で大丈夫???と思われるかも知れませんが
当時は川崎市は中2中3で色々な試験があったり
内申で75%だか80%公立なら点数があって
本番は2割くらいなので
大体合否に影響はないです。公立受験の場合は。
私みたいに国立を受けたり、私立を受けるには
一般的には圧倒的に不利なので
野球部には入らない方がいいです(笑)
夏くらいからでしょうか
私のコントロールも随分良くなってきて
A先輩もボールが少し外れても取ってくれるように
なりました。
(いい加減身体がもたないと言ってました)
今、考えると普通に取ってくれてただけで凄いです。
私が守備練習でサードとかで取って
ファーストに全力で投げると
ファーストの人が怖いから、もっと遅く投げろ
とか言ってましたし
逃げ出すファーストの人もいました……
同級生からもボールが速すぎるから怖いと言われ
練習で
A先輩以外ボールを受けてくれる人が当時はいなかったです。
ですから小学校に行って夜とか、壁当てをしていました。
なんか、私が投げると
シュルシュルシュルって蛇みたいな音がするって言われて
怖くて皆、嫌だと言ってたので……
自分で自分のボールは分からないので……
A先輩が受けてくれるときだけ、本当に全力で投げられました。
それで
いよいよ中学2年の秋の大会
A先輩とバッテリーをくんで
頂点へ
次回へ続きます
それで
野球を始めて実質一年生の私(^0^;)
中学1年って私の代は一度もボールを握らせてもらえません
でした。雑用か賭けの対象、筋トレ
あ、声出しというのもありましたね
2時間一列になって「ウォーイ~」みたいに
叫び続ける
他の部活の人からは狂った野球部員の遠吠えと言われ
嘲笑の対象でしたが。
でも、私はこの声出しが得意で中二のキャプテンになったんです
(笑)発声練習みたいなものですからね。
そのとき自分の出してる音の高さとか
気をつけながら、そういうピッチ(音程)コントロールの
練習もしていました。
これもピッチング練習ですね
ですから中学2年になって初めて「ボールなるもの」を握って
投げ始めたんです。
それで、最初はコントロールが滅茶苦茶ですわ
キャッチボールはまだいいのですが
マウンドから投げると、誰もがびっくりするくらい
大袈裟ではなく
バックネット裏に突き刺さる
三塁側のベンチ付近や
ネクストバッターズサークル、この辺も
スナイパーブッチーの標的ですわ(笑)
A先輩はあまり練習には来ないので……
助かってた部分もありますが(^0^;)
ばれないので(笑)
ただ、やがて運命は巡り来る……
ちょうど
ゴールデンウィークの練習試合
ダブルヘッダーの2試合目で
満足に投手練習もしていない、私は急にデビューすることに
なったんです
A先輩とバッテリーで
そこで初めてボールを受けてもらった?
(キャッチャーミットに収まる範囲にボールを
投げられなかったような)
んです。
A先輩は
「とりあえず、打たれてもいいし
コントロールとか色々気にせず
全力で投げてこい」と言われたので
素直な私は全力で投げました
コントロール?気にする?どういう意味だろう?
とりあえず構えたところめがけて全力で投げればいいのね
って思って。全力で投げました。
四球、四球、四球……3連続四球……
で
いきなり満塁になり、全くストライクが入らず……
それで投げていて
なんとなく相手にも
自分のチームにも申し訳ない気持ちが
高まってきて
何球目だったか
バックネットにボールを投げてしまい
マウンドを降りて
帽子をとって、謝ったんです(会釈)
そうしたら……次の瞬間
鬼の形相のA先輩がマウンドまで走ってきて
(この時のダッシュがA先輩史上最速のダッシュ力だったと
思います。)
公開処刑ですわ
「ピッチャーがマウンドから降りて
相手チームに謝るんじゃねー」
みたいなことを言われて、ボコボコにされて
周りが止めてくれて
それで
私のほろ苦い、いや苦すぎるわ!!口の中は切れましたし
デビュー戦がおわり
次の日から
A先輩とマンツーマンの
恐怖のプロ家庭教師並の(笑)個人指導が始まりました。
ブルペンで
A先輩が構える、そして私は投げるのですが
A先輩はピクリともミットを動かさず
「構えたところしか取らないから、それでもし
俺の体に当てたら、一発は一発だから
その分殴り返すから」
という魔界でしか行われてこなかっただろう
悪魔の練習が始まりました。
殴られた殴られた
顔面パンパンに腫れて帰ることもよくありました。
うまく当たる前に引けば痛くないのですが
そもそもA先輩は私の140㌔くらいのボールをグラブで受けないので
身体で被弾してるので
それはそれで申し訳ないので(そっちの方が多分痛い(^0^;))
「一発は一発」
要は私が構えたところに投げれば
誰も痛くないわけで、殴らせるのも嫌で
そこから自分でも真剣に練習しました。
そうしたら、大体ボールを離す位置を身体で覚えればいいんだな
って分かって。
どこで離せばどこにいく
これを徹底的に覚えました。
当然夏の大会には私は出る幕はなく
(ただ代打でホームランを打ちましたが
等々力球場で。)
先輩達は基本
A先輩以外練習してない不良なので
(A先輩も練習はしてないですが
めちゃくちゃ打つ)
2回戦で負けました。
それで私の住んでいる川崎市には
川崎市だけの大会というのがありまして……
10月に(^0^;)
中三野球部は他の部活よりずっと遅い
中三の11月引退なんです。
そこから受験勉強で大丈夫???と思われるかも知れませんが
当時は川崎市は中2中3で色々な試験があったり
内申で75%だか80%公立なら点数があって
本番は2割くらいなので
大体合否に影響はないです。公立受験の場合は。
私みたいに国立を受けたり、私立を受けるには
一般的には圧倒的に不利なので
野球部には入らない方がいいです(笑)
夏くらいからでしょうか
私のコントロールも随分良くなってきて
A先輩もボールが少し外れても取ってくれるように
なりました。
(いい加減身体がもたないと言ってました)
今、考えると普通に取ってくれてただけで凄いです。
私が守備練習でサードとかで取って
ファーストに全力で投げると
ファーストの人が怖いから、もっと遅く投げろ
とか言ってましたし
逃げ出すファーストの人もいました……
同級生からもボールが速すぎるから怖いと言われ
練習で
A先輩以外ボールを受けてくれる人が当時はいなかったです。
ですから小学校に行って夜とか、壁当てをしていました。
なんか、私が投げると
シュルシュルシュルって蛇みたいな音がするって言われて
怖くて皆、嫌だと言ってたので……
自分で自分のボールは分からないので……
A先輩が受けてくれるときだけ、本当に全力で投げられました。
それで
いよいよ中学2年の秋の大会
A先輩とバッテリーをくんで
頂点へ
次回へ続きます