追悼文(前編) [雑感]
私くらいの年齢になりますと
同級生でも亡くなった方が結構でています。
高校の同学年で30/160人くらいです、おそらく。
死というのは一般的には受容しがたいもので
生きたい&死にたくない
(こう書くとポップですね(笑))
と思う気持ちは最初はあるかと思いますが
こういう周りが死んでいく
もしくは同時代に好きだった芸能人とか
スポーツ選手とか
諸々の死に直面していくことで
自分もまあ順番が来るんだろうな……って
ゆっくりと
時の経過と共に
個人差はあれ、死は受け入れられていくのだと思います。
先日、中学時代の一年上の先輩の方が亡くなられました。
匿名がいいと思うのでA先輩と呼びましょう。
私が中学2年の頃、野球部で(私が野球を始めたのは中学一年です。
簡単に言うとド素人。守備は得意でした、力学なんで(笑))
毎日過酷な練習をしていた頃
殴られまくる日々先輩からも先生からも、
日曜日は朝6時から18時までほぼ休憩なく筋トレ&走の
日もありました、水は無論飲んではだめ。
夏休みとか「地獄休み」ですから
ゴールデンウィークは「デスウィーク」(笑)
まあ、先輩から賭けの対象にされたり(人間競馬みたいな
ものが開催されておりました)
負けるとお金を損するので、その馬(人間)はしばかれます。
不条理の巣窟でした……
その頃
野球部の先輩達の中で球速を計れる
バッティングセンターに行くのが流行っていました。
練習をサボれることもあって
練習中に遊びに行ってしまわれるのですが
その遊びのお供に
バットや道具を持って
スクーターとか自転車に乗った先輩を走って追いかけて
バッティングセンターまで荷物を運ぶ
佐川急便のような嫌な仕事がありました(笑)
私が中学2年の時、中学2年のキャプテンでしたので
私の代からはこういう不条理系はやめようと思ってたので
中1がやめていっても嫌ですし
中3の先輩の雑用はとか言いつけは私たちの代で人を回して
やろう、って皆に言ってありました。
それで
大体私たちの中でジャンケンで負けた人が
毎回ついて行くのですが
まあ、やがて冒頭で述べた死のように順番は来ますよね……
運命は巡り来る……
やがて私がお供に行くことになって……
今日は何発殴られるかなあ
みたいな感じで、全速力で走って
バッティングセンターについて行きました。
バイクを追いかけて。
恋人との別れでもこんな全速力で走らないぞくらいの
スピードで。
無論信号はない、ということになる感じで。
それで必死に汗だくになってなんとか着いて
まあ……でも
バッティングセンターに着けば、暇ですね。
タバコとかジュースを買いに走らされることが
時々あるくらいで。
それでA先輩も、そのときバッティングセンター
におられましたが(練習が嫌いなので)
A先輩は中学1年の時に
沖縄から来られた方でキャッチャーで、
小学校の頃は
硬式で野球をやっていて、日本選抜に選ばれたり
素晴らしい選手だったらしいのですが
家の事情で引っ越してこられて
そこから練習はしなくなりましたし、タバコを吸ってる
せいか、少し走るとゼーゼーいっておりました。
私は当時180㌢弱は身長がありましたが
A先輩は推定160㌢強くらいでした。
(違ってたらごめんなさい、人の身長って分かりづらい)
ただうまいですし、試合ではホームランは軽く打ちますし
活躍するので(西武の森友哉選手みたいな感じです)
私たち後輩は皆A先輩をすごいなあと思っていたと思います。
私もなんであんな才能があるのに
真面目に練習しないんだろう、って思ってました。
そこに舞い降りる天の声
バッティングセンターで暇そうにしてる私に
A先輩がおまえも投げてみろ、
投げなきゃ殴ると言われたので(笑)
バッティングセンターで全力で投げました。
大体中学生って先輩たちも120㌔台なのですが
私が最初に投げたボールは139㌔
これに滅茶苦茶先輩達はどよめき
140㌔を超えるまで投げろと言われましたが
結局、超えませんでした。
……というか
コントロールが悪すぎて
測定不能のボールも結構ありました((^0^;)
そしてその数日後……
私はA先輩に格技室の裏に来いと呼ばれました
まあ
これは私の時代は「死刑宣告」ですね
ついに13階段を登る日がきたか……
これでどんどん部員が止めていく(笑)
私の代って中学一年の時90人以上入部したのですが
(当時は野球が大人気で、一学年500人くらいで
男子は半分くらいなので、中一の3割超が野球部希望)
2週間で半分になり(笑)
その後、過酷な生活に耐えられず
中二の時点で確か20人もいなかったと思います。
(記憶が曖昧ですが18人くらいかな。)
それでまあ……覚悟を決めて
執行場所に行ったのですが
特にしばかれるグッズはなく
A先輩だけがおりました。
それで、急に胸ぐらをつかまれ
「お前、俺がバッテリーを組んで鍛えてやるから
ピッチャーをやれ」と言われました
ええええ
これは一瞬、近所にいくつかあった
ヤクザの組に入れと言われてるのか???
って本当に思いましたが
我に返って
ああ
よくわからないですが
先輩の言うことは絶対なので
とりあえず投げておけばいいのね
みたいに……
まあ良かった、死ななくて……
それなら楽だわ……くらいに思って
はいはいはい
お願いします、と言いました。
まあ……ここから本当の恐怖が始まるのですが
そのときの私は知る由もありません。
(余談ですが
その頃三年生のエースの方がいて
その方は私の学年のキャッチャーの人が
バッテリーを組むことになりました。)
次回に続く
同級生でも亡くなった方が結構でています。
高校の同学年で30/160人くらいです、おそらく。
死というのは一般的には受容しがたいもので
生きたい&死にたくない
(こう書くとポップですね(笑))
と思う気持ちは最初はあるかと思いますが
こういう周りが死んでいく
もしくは同時代に好きだった芸能人とか
スポーツ選手とか
諸々の死に直面していくことで
自分もまあ順番が来るんだろうな……って
ゆっくりと
時の経過と共に
個人差はあれ、死は受け入れられていくのだと思います。
先日、中学時代の一年上の先輩の方が亡くなられました。
匿名がいいと思うのでA先輩と呼びましょう。
私が中学2年の頃、野球部で(私が野球を始めたのは中学一年です。
簡単に言うとド素人。守備は得意でした、力学なんで(笑))
毎日過酷な練習をしていた頃
殴られまくる日々先輩からも先生からも、
日曜日は朝6時から18時までほぼ休憩なく筋トレ&走の
日もありました、水は無論飲んではだめ。
夏休みとか「地獄休み」ですから
ゴールデンウィークは「デスウィーク」(笑)
まあ、先輩から賭けの対象にされたり(人間競馬みたいな
ものが開催されておりました)
負けるとお金を損するので、その馬(人間)はしばかれます。
不条理の巣窟でした……
その頃
野球部の先輩達の中で球速を計れる
バッティングセンターに行くのが流行っていました。
練習をサボれることもあって
練習中に遊びに行ってしまわれるのですが
その遊びのお供に
バットや道具を持って
スクーターとか自転車に乗った先輩を走って追いかけて
バッティングセンターまで荷物を運ぶ
佐川急便のような嫌な仕事がありました(笑)
私が中学2年の時、中学2年のキャプテンでしたので
私の代からはこういう不条理系はやめようと思ってたので
中1がやめていっても嫌ですし
中3の先輩の雑用はとか言いつけは私たちの代で人を回して
やろう、って皆に言ってありました。
それで
大体私たちの中でジャンケンで負けた人が
毎回ついて行くのですが
まあ、やがて冒頭で述べた死のように順番は来ますよね……
運命は巡り来る……
やがて私がお供に行くことになって……
今日は何発殴られるかなあ
みたいな感じで、全速力で走って
バッティングセンターについて行きました。
バイクを追いかけて。
恋人との別れでもこんな全速力で走らないぞくらいの
スピードで。
無論信号はない、ということになる感じで。
それで必死に汗だくになってなんとか着いて
まあ……でも
バッティングセンターに着けば、暇ですね。
タバコとかジュースを買いに走らされることが
時々あるくらいで。
それでA先輩も、そのときバッティングセンター
におられましたが(練習が嫌いなので)
A先輩は中学1年の時に
沖縄から来られた方でキャッチャーで、
小学校の頃は
硬式で野球をやっていて、日本選抜に選ばれたり
素晴らしい選手だったらしいのですが
家の事情で引っ越してこられて
そこから練習はしなくなりましたし、タバコを吸ってる
せいか、少し走るとゼーゼーいっておりました。
私は当時180㌢弱は身長がありましたが
A先輩は推定160㌢強くらいでした。
(違ってたらごめんなさい、人の身長って分かりづらい)
ただうまいですし、試合ではホームランは軽く打ちますし
活躍するので(西武の森友哉選手みたいな感じです)
私たち後輩は皆A先輩をすごいなあと思っていたと思います。
私もなんであんな才能があるのに
真面目に練習しないんだろう、って思ってました。
そこに舞い降りる天の声
バッティングセンターで暇そうにしてる私に
A先輩がおまえも投げてみろ、
投げなきゃ殴ると言われたので(笑)
バッティングセンターで全力で投げました。
大体中学生って先輩たちも120㌔台なのですが
私が最初に投げたボールは139㌔
これに滅茶苦茶先輩達はどよめき
140㌔を超えるまで投げろと言われましたが
結局、超えませんでした。
……というか
コントロールが悪すぎて
測定不能のボールも結構ありました((^0^;)
そしてその数日後……
私はA先輩に格技室の裏に来いと呼ばれました
まあ
これは私の時代は「死刑宣告」ですね
ついに13階段を登る日がきたか……
これでどんどん部員が止めていく(笑)
私の代って中学一年の時90人以上入部したのですが
(当時は野球が大人気で、一学年500人くらいで
男子は半分くらいなので、中一の3割超が野球部希望)
2週間で半分になり(笑)
その後、過酷な生活に耐えられず
中二の時点で確か20人もいなかったと思います。
(記憶が曖昧ですが18人くらいかな。)
それでまあ……覚悟を決めて
執行場所に行ったのですが
特にしばかれるグッズはなく
A先輩だけがおりました。
それで、急に胸ぐらをつかまれ
「お前、俺がバッテリーを組んで鍛えてやるから
ピッチャーをやれ」と言われました
ええええ
これは一瞬、近所にいくつかあった
ヤクザの組に入れと言われてるのか???
って本当に思いましたが
我に返って
ああ
よくわからないですが
先輩の言うことは絶対なので
とりあえず投げておけばいいのね
みたいに……
まあ良かった、死ななくて……
それなら楽だわ……くらいに思って
はいはいはい
お願いします、と言いました。
まあ……ここから本当の恐怖が始まるのですが
そのときの私は知る由もありません。
(余談ですが
その頃三年生のエースの方がいて
その方は私の学年のキャッチャーの人が
バッテリーを組むことになりました。)
次回に続く