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救いようのないほどの……対処法 [雑感]

最近
コンビニやスーパーで
「家庭内のゴミの持ち込みは
遠慮してください」

みたいなことが
ゴミ箱に書いてありますよね

主にトラック運転手とか
そういう外で仕事をする系の人が
まとめて車の中のゴミをコンビニ等で
捨てる人がいるので

店で買ってたべたものとか
そういうゴミだけ捨ててくれと
いう話ですが

昨日
私はスーパーに買い物に行きました
それで
どうしてもお腹が空いたので
スーパーのベンチで
買った卵サンドを食べようとしたんです

そ、そしたら[もうやだ~(悲しい顔)]
なんと
卵サンドが
ピョーンって
私の元から逃げるように飛んで
一個地面に落ちてしまいました

一瞬考えました……
こ、これは3秒ルールか?
つまり落ちて3秒なら食べられるのか??
って思ったんですが
流石に踏みとどまりました。

それで
スーパーにある
「家庭のゴミお断り」
ゴミ箱

そこには分別されていて
プラゴミ
紙パック……
みたいなかんじで
店のゴミ箱が並んでるのです

だから
まあ普通にゴミ箱に捨てました……

そしたらですね……
後ろから
いろいろ分別ゴミを持った
自称意識高い系の(笑)
70歳くらいのおじいさんが来て
おいおいおい
そこに捨てたらダメだろ!!
ゴミは持ち帰れ
って言いがかりをつけて来るんです

まあ
無視をしていたら
この常識知らず!持ち込むな家庭のゴミを!!
ばか!!
と私に言ってくるんです

皆さんなら
こういう方にどう対処します???
(笑)

私は一瞬で頭が回って
様々な可能性を考えて
「OK,ありがとうございます」と笑顔で
答えました
それで素早く立ち去りました
背中越しにいろいろ悪口を言われましたが

本当に世の中には救いようのない
バカがいるのです。
その人と時間を使うこと自体無駄です。

本人はゴミの分別意識が高い
だから注意でもして
喜びを感じているのか
自分の正義に恍惚としているのか
わかりませんが 

まず!
最低限人に注意をするなら
自分の主張に客観性のある
正義、担保を最低限持ちましょう
それが
担保されてないのに
自分の恍惚感のために人に注意する人
本当にヤバイです

丁寧な対応をするならば
店員を呼んで
このルールを
ヤバイ老人、これを老害と世間では言うのでしょうが
に教えて差し上げる
等々の対応が考えられますが

私は自分に非がなければ
とにかく相手にしない
そもそも
そんなことを言ってくるやつ
話をして理解される可能性すら薄い

多分ゴミ箱の見かけが
傘のゴミ捨てに見えたのかなあ
本当になぜ私が注意されたのか
まったく理解出来ませんが(笑)

もっといえば
ボケてる可能性もありますよね……

こういうもろもろを
いちいち
バカのために時間を使って
対処すること自体
時間の無駄なのです。

だから
いかにその場を立ち去るか
そのことだけを考えれば
いいと思います。

生徒にこの問題を投げかけたらな
先生は沢山悪口を言われても
よくキレなくてすごい、
なんて言われましたが
その生徒には
絶対キレてはダメ
バカは相手にしない、それがベスト
といっておきましたが……

そもそも
バカに悪口を言われる
これは
マイナス×マイナスは
プラスで
むしろ褒められてるんじゃないかと
思って
私は
咄嗟に「ありがとうございます」と
答えたんです
相手に悪い気持ちを与えずに
その場を立ち去る意味もあって
一石二鳥かなあ……って


まあ
こういう
自分の正義を相手に押しつける系って
ほぼほぼ日本人しかおりません。

見過ごせない何かがあっても
私はそもそも
そこに時間をつかうべきではないと思いますが
やるなら
最低限徹底的に自分の主張の正義を
あらゆる角度から客観的に
評価して
それで何を反論されてもいけるなら
いけばいいです……

でも
本当に私は相手にしないことを
おすすめします。
無駄なので

そもそも
そんなまともな議論が通用する人が
そんないちゃもんつけてくるでしょうか?

なんだか
お腹がいっぱいになって
結局たまごサンドの残りは家で食べました。

こういう輩に絡まれたときは
ニコニコしながら
その場から逃げましょう[モバQ]
[わーい(嬉しい顔)]

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昨日の続き [雑感]

色々コメント頂きありがとうございます。
人にとって最大の敵は
「不安」である
というお話でした。

考えてみれば
宗教や諸々の思想も
人間の1番の不安要因であった
「死」を克服するために
できたと思いますし
その不安を解消するために
人類が生み出した
テクニックだと思います。

日本で宗教の話をすると
神の存在論に帰着したり
諸々するわけですが……
そういう次元、phaseの問題では
本来ないのです。

宗教や思想というのは
生きる活力、エネルギーになるもので
人を暗い不安の中
前へ進めてくれる
灯火のようなものです。

音楽でもいいです
なんでもいいです
人間の文化の一つとして
人類は
この不安と対峙するという
手法を無数に
産み出してきたのです。

ただ……現代を生きる
私達の不安は
過去の時代とは大きく変容して
しまったように思います。

昔は
実際に目の前でバタバタ人が死ぬわけです。
災害や
貧困……もろもろが死と直結してあり
死が身近にあったと言い換えても
いいかも知れません。

現在は
日本社会の場合、貧困で餓死する
みたいなものは
社会保障制度を考えても稀です。
そうではない
間接的な不安がメインなのだと
思います。

だからこそ
直接的な
対処方法が無くて
難しくなっているように思いますが

ここで唐突に
私の仕事と結びつけてお話をしますが
この間接的な不安を解消する
というのと
生徒の勉強をやる気にさせる
というのは非常に似ているように
思います。

結局
間接的であるが故に外部からは
なにもできない

外部からその原因を取り除けるのは
その一瞬だけなのです。
勉強だって
仮にやる気のでる話をしたり
勉強の意義を話したとします
それでも、もつのはせいぜい三日(笑)
1週間持つ人はほとんどいないです。
ですから
こういうことは外部から何をしても
問題解決には至らないのです。
何かしらのきっかけになって欲しい
そう思って私もいろいろお話をしたり
するのですが
なかなか上手くはいかないものです。

ではどうしていけばいいのか?
私は結局のところ
広い意味で捉えて頂きたいですが
自分自身と向き合うということ
それしかないように思います。

このテクニックについては
知性の働き、もろもろ今まで
書いてきたとは思いますが……
本当に難しいですが
難しいからこそ挑み
甲斐のある問題
でもあります。

方法論的には
なるべく不安を外部におしやるという
ことです。
自己、自分というラインを人間は
勝手に引きます
仲間とか……もろもろの概念もそうですが

唾液も自分の内部にあるときは
なんの違和感もなく
飲みまくってますが
外部にある唾液をコップ一杯
飲めたものではないです。
排泄物とかもそうです。
人間は自分で
線引きをしてるんです。
内界と外界を

不安はこの線の引き方の問題でも
あるように私は思っています。

難しいです、不安は


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