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昨日の続き [雑感]

色々コメント頂きありがとうございます。
人にとって最大の敵は
「不安」である
というお話でした。

考えてみれば
宗教や諸々の思想も
人間の1番の不安要因であった
「死」を克服するために
できたと思いますし
その不安を解消するために
人類が生み出した
テクニックだと思います。

日本で宗教の話をすると
神の存在論に帰着したり
諸々するわけですが……
そういう次元、phaseの問題では
本来ないのです。

宗教や思想というのは
生きる活力、エネルギーになるもので
人を暗い不安の中
前へ進めてくれる
灯火のようなものです。

音楽でもいいです
なんでもいいです
人間の文化の一つとして
人類は
この不安と対峙するという
手法を無数に
産み出してきたのです。

ただ……現代を生きる
私達の不安は
過去の時代とは大きく変容して
しまったように思います。

昔は
実際に目の前でバタバタ人が死ぬわけです。
災害や
貧困……もろもろが死と直結してあり
死が身近にあったと言い換えても
いいかも知れません。

現在は
日本社会の場合、貧困で餓死する
みたいなものは
社会保障制度を考えても稀です。
そうではない
間接的な不安がメインなのだと
思います。

だからこそ
直接的な
対処方法が無くて
難しくなっているように思いますが

ここで唐突に
私の仕事と結びつけてお話をしますが
この間接的な不安を解消する
というのと
生徒の勉強をやる気にさせる
というのは非常に似ているように
思います。

結局
間接的であるが故に外部からは
なにもできない

外部からその原因を取り除けるのは
その一瞬だけなのです。
勉強だって
仮にやる気のでる話をしたり
勉強の意義を話したとします
それでも、もつのはせいぜい三日(笑)
1週間持つ人はほとんどいないです。
ですから
こういうことは外部から何をしても
問題解決には至らないのです。
何かしらのきっかけになって欲しい
そう思って私もいろいろお話をしたり
するのですが
なかなか上手くはいかないものです。

ではどうしていけばいいのか?
私は結局のところ
広い意味で捉えて頂きたいですが
自分自身と向き合うということ
それしかないように思います。

このテクニックについては
知性の働き、もろもろ今まで
書いてきたとは思いますが……
本当に難しいですが
難しいからこそ挑み
甲斐のある問題
でもあります。

方法論的には
なるべく不安を外部におしやるという
ことです。
自己、自分というラインを人間は
勝手に引きます
仲間とか……もろもろの概念もそうですが

唾液も自分の内部にあるときは
なんの違和感もなく
飲みまくってますが
外部にある唾液をコップ一杯
飲めたものではないです。
排泄物とかもそうです。
人間は自分で
線引きをしてるんです。
内界と外界を

不安はこの線の引き方の問題でも
あるように私は思っています。

難しいです、不安は


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