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結果が全てなのか? [家庭教師のお仕事]

よく
結果が全てだとか
結果が出なければ
仕方ないという人がいます。
生徒でもそうです。

いろいろ
受験勉強を一生懸命やったけど
落ちた
全ては無駄だった……と

私はこういう考えは全く
理解できません。
結果が全てだという考えを
否定するわけではありません。
理解が出来ないだけですし
私の価値観とは違う
というだけです。

私とは人生観が全く違うということです。

結果ってそもそも何でしょうか?

例えば
受験で東大に受かったとします
それは結果が良かった

何の???って
私は思うのです。

結果というのは 結局 他人の評価、世間の評価なのです。
個人の結果は
死でしかあり得ないので。

結果が全て……
人類の結果はもれなく
地球の上で地球上の生物とともに
全滅するということです。

中学受験で
開成中学に受かりました
結果がでて良かったです[ぴかぴか(新しい)]

その結果は
他人が一時的に評価するもので
その人にとっては
全て人生のプロセスで
開成中学に受かって人生終わりでも
なければ
その後の人生でどんどん挫折すること
もあるんです。
「その結果」は悲惨なものになるかも
知れないです。
そうしたら
開成中学にむしろ受からない方が
結果が良かったのでは?みたいな
考えになりますよね。
結果主義の人は。

考え方、ものの見方がが
単純すぎます。
死以外の
結果自体
自分で設定してるだけ
恣意的なものです。

その恣意性はどこからくるか?
それは誰かに評価してほしいからです。

例えば
「この方法でやれば偏差値20アップ!」
なんていうのがあったとしますよね
仮にこの方法で
偏差値20アップという結果がでたとしましょう。
ある時点で

そこで終わりですか?ということです。
この終わりのデッドライン
恣意的に勝手に決めてますよね
その後
偏差値がそこから10下がったかも
しれないし
1回の模試だけ偶然良かったのかも知れない。
もっと酷いときがあるかもしれない。
だけど
結果主義の人は
偏差値20上がった!やったー結果が出た!!

阿呆なのですか???

と私は率直に思います。
到底知性のある人間が導き出せる
思考方法ではないからです。

ですから
結果主義というのは
単純に人の目を気にする主義というか
世間体、体面主義です。

私から見ると
開成中学合格は
その話を聞いた第三者にとっての
結果であって
自分の結果ではないのです。

そういう結果主義を唱える人は
どういう人か?
それは
異様に
他人の評価、他人から
どう思われてるか?を重視して
生きる人なんだと思います。

他人にどう評価されるのか?を
気にする人生です。

自分自身の人生を生きる人ならば
明らかに大切なのは
結果よりも経過、過程
プロセスです。

人間の真の結果は死 プロセスこそが人生だからです

そのプロセスで
何が得られていくか
学べるかが
これからの経過としての
人生を生きる上で
このうえなく大事だからです。

わかりやすい
例で言うと
私の同級生で
京大受験の際に
チートして机に色々書きまくったり
本を試験中に見たりして
カンニングで京大に合格した
人がいます。

後年スマホ知恵袋事件が起こるように
京大の試験監督体制は
ぬるぬるでした。

その合格を
羨ましいと思った他の同級生もいますが
私は全くそうは思いませんでした。
それは
受験勉強でもなんでもそうですが
大切なのは結果ではなく
自分がそれに向けて何をどう努力したか?
だと
私は思うからです。

つまり その時間をどう生きたか?と いうことですが。

京大に合格することより
それに向けて頑張った自分の方が
大事だし、
それを中抜きにして
結果だけ得られても何も
嬉しくないからです。
そのときに得られるのは
他人の評価、世間体だけです。

当然……偶然受かった彼は
大学を8年いることに
なり、結局辞めて今は
プー太郎ですが

その評価が
結果主義の人に
どうされるのかは私は
わかりません。

偶然
何もしていないのに
得られる結果なんて
無数にあるんです。

結果が全ての人生の方では
それで
OKなのでしょうが
それって
自分自身に何か残りますか?
結局は
他人からの見てくれの問題なのです。
結果がでるということは。実際は。

そもそも
「結果」ってどこで区切るの?って
いう話ですよね。
東大を合格したら
その人の人生は終わりでしょうか?
自分の人生ならそうではないですよね。
関わりのない第三者からすれば
それは結果がでて良かったということ
なのでしょうが。

私は授業をしていて
それは
第一志望を目標に頑張っては
います。
でも、実は
第一志望合格よりも
毎日の授業で生徒に伝えるべきことを
伝えたか
問題点を直せたか
生徒はどういう気持ちで
こうなっているのか……諸々の方が
遙かに大切です。

受験結果はどうあれ
本当に生徒が頑張ってくれたら
それが1番嬉しいです。
何よりも1番の財産になっていく
からです。

これは綺麗ごとでも
なんでもなく。
結果主義の人はこれを
綺麗事だというのですが。

私はとにかく生徒に
自分で考えることを強います。
それは
先日書いたように
日本という国が
同調圧力の強い国で
全て御上、世間の言うとおりで
流されて生きてる人ばかりで
「考えて生きてる人間」が
圧倒的に少数だからです。

私は生徒に
どういう状況で思考を
働かせ
どういう考えるアプローチ
方法論があるか
そういうことを基本的には
受験を題材にしっかり教えて
いるのです。

勿論
受験テクニックもやれば
なんでもやりますが
私は
長年この仕事をやっていて
受験結果が思うように行かない
ことくらい
痛いほど分かっています。
受かりそうな人が落ちたり
落ちそうな人が受かったり
様々です。
体調が悪かったりでも
受験は落ちます。
でも、その落ちたという
結果だけが全てなのでしょうか?

言い方を変えると
何も勉強せずにただ受験だけして 落ちた学生と 一生懸命自分の人生生き方と 向き合って努力して 落ちた人の結果が 不合格という事象だけを捉えて 同一視できるのでしょうか
結果主義の人はそれが
できる人です[ふらふら]

私はそうは思いません。
現実や世の中で起こること
というのは不条理なことが
多いです。

その中で
私が確実に出来る
プロセスというのは
生徒と話し合い
いい授業
考える力を提供するという
ことだけなのです。
それがしっかり出来て
受験勉強がある
くらいに私は考えているんです。

勿論
結果自体は大事
第一志望を目標に頑張ったならば
それはその学校へ合格という結果が
でたほうがいいに決まってます。
でも
結果が全てではないです。

合格というのは
正しいプロセスを経て得た
合格でないといけないと
私は考えています。

合格を裏金で売ってくれる人が
いて、それを買う人というのは
本当になんも考えて無い
世間からの見てくれ
他人の評価だけを気にして生きる
結果主義人間なんだとおもいます。

私は他人の評価の中に
個人の幸福は存在しないと思っています。
日本は他人の目、評価を異様に気にする
相互監視社会、モニタリング社会なので
個人の幸福度は世界最低レベルで 低いのだと思います。

私が生徒にこのような授業を
しているのは何故か?
それは広い意味で
生徒には
幸福な人生を送って欲しい
自分だけのプロセス
人生を楽しく歩んで欲しい

私は
そう願っているからです。


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