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主観と客観の問題 [哲学概論]

ブログのコメントに質問を頂いたので
お返事を書いておきます。

慶大生さんへ
家庭教師が儲かるか儲からないか?
というご質問ですが

これは何ともお答えができません。

それは何故か
と言いますと
儲かるか儲からないかは主観的な問題だからです。
人が一般に「儲かる」というときは
費用対効果を考えて儲かるか儲からないかを
考えているのだと思いますが
最終的に儲かったのか儲からなかったかというのは
主観的な問題、つまり本人の感じ方次第だと思います。

問題というのは
主観的な、簡単に言えば心の持ちようの問題と
客観的な、簡単に言えば自分ではどうにもならない問題
自分には無関係な問題があります。
私が慶大生さんの質問にお答えできないのは
儲かるか儲からないかという問題自体が
本当は慶大生さんの主観の問題だからです。

客観的な事実を示すことはできます。
慶大生さんが時給をいくらに設定し
週にどれくらい仕事をいれ
どれだけの時間を仕事に費やすか
これは自分でシミュレートして頂ければ
想像がつくと思います。
ここまでは客観的な問題なんです。

果してその結果を
慶大生さんが儲かると感じるのか
儲からないと感じるのか
それは慶大生さんの主観的な問題で
私にはさっぱりわかりません。

主観的問題の多くは本人の心のもちようで解決します。
また、心のもちようのせいで
生まれる主観的な問題も存在します。
例えば
普通に考えたら十分なお金持ちの人も
周りに自分よりお金持ちの人が多い場合
客観的にはお金持ちでも
主観的には貧乏だという感覚を抱くことになります。
病気の類もそうです。
私は椎間板ヘルニアでMRIの画像上
神経がかなり圧迫されているため
座りすぎたりすると左足に神経痛が走りますが
世の中には原因の分からない腰痛というの沢山あります。
NHKのテレビ放送によるものなので
数字は正確かどうかわかりませんが
腰痛の原因の80%は精神的なものだそうです。
腰痛の激痛は一度味わうと忘れなれないくらい
精神に焼き付いてしまいます。
そうするとそれ以後、今までは気にしなかったくらいの
腰の違和感すら痛みとして自分が主観的問題として
解釈してしまいます。
以前ブログで書きましたが
私の逆流性食道炎事件もそうです。
ものを飲み込んだときに、胸が詰まる感じがする
呑酸を感じる、胸やけがひどい
こんな症状が10日くらい続いて苦しくて苦しくて
仕方がなかったのですが
医者に行ったところ逆流性食道炎自体は三、四日で治る筈だから
後は精神的な問題だと言われました。
私が気にしすぎてしまうわけです。
その話を聞いたあと何とその後二日で治ってしまいました(笑)
自分自身を阿呆かと思いました(笑)
ただ、医学的な検査をしても異常のない逆流性食道炎の人は沢山いて
ネットで調べても何カ月も治らない人はざらにいます。
人によっては年単位で治りません。
そういう人たちは主観的問題として、もはや無意識のうちに
脳が逆流性食道炎を忘れることができないのだと思います。
私のように言われてパーっと忘れるのは
頭が悪いだけかもしれませんが(笑)

人間は精神が発達したことで
精神の呪縛を解くのは非常に難しいです。
最近は知識も増えてきました。
昔は医者がいうことはそのまま信じて、思いこんで
家に帰れば精神由来の症状はプラセボ効果で治っていたのですが
知識がある人は医者の言うことを疑ってしまって
十分にプラセボが効きません。
景気もそうです。
最近の人が賢くなってきたせいでなかなか景気は回復しません。
マスコミや政治家が好景気感を煽っても
今の国民は頭が良く、将来のことを良く考えるため
結果としてお金をどんどん使うことはなく
景気もそれによってよくならないのです。
現代は知恵がついた分
このような問題と沢山向き合わなければならなくなりました。
宗教が流行らなくなったのもそのせいです。

人と「比べて」何かを考えることほど
自分を不幸にすることはありません。
客観的問題をわざわざ自分の主観的問題に取りこんでいるからです。
戦後焼け野原の中では皆が何もないので
特別相対的な貧困を感じた人はほとんどいませんでした。
貧乏でも皆が貧乏だったからです。
「赤信号みんなで渡れば怖くない」というギャグさえ
私には哲学的響きを感じさせます。
人は無意識のうちに近くの人と自分をくらべ
必要のない主観的な問題を増やしていってると思います。

やりがいのある仕事が探したい
儲かる仕事を探したい等々
これら全ては
本人がどう感じるかという主観的な問題です。
極端に言うと
食べ物がうまいか、まずいかという問題と同じなんです。
自分がある店のラーメンがうまいと思っても
それは個人的、主観的な問題で
客観的に言える問題ではないのです。
テレビで放送しているおいしいお店も同じです。
ですから主観的な問題は
私がアドバイスできる話ではないんです。

ただ、私の主観を述べることは勿論できます。
それをコメントで批判等されてもどうしようもないことは
今までの文章で分かって頂けるかと思います。
私が言えることは私自身の個人的体験として
プロ家庭教師は非常にやり甲斐もあれば
楽しくもありますし、自分が今まで感じたことの無いような
頭が割れそうな苦しみを感じることもあります。
私としては仕事というものは
儲かる儲からないという尺度で考えたことはありません。
私が儲かる儲からないという尺度で仕事を選ぶならば
もっと他の仕事をやります。
しかし、私はお金というのは目的ではないと思っています。
お金を稼いで、それを使って何かをする。
何かをする方が目的であるべきです。
お金をどう使うか、自己投資に使うか、リラックスに使うか
生活を潤すために使うか
それは人それぞれだと思いますが
お金を稼ぐこと自体は仕事の目的ではないと私は思っています。
仕事とは、これは私の勝手な定義ですが
自分の得たものを社会にoutputする営みだと思います。
ですから社会に何かしらの貢献をしなければ
私は仕事だとは思いません。
当然、お金を稼げは経済が潤うので
それも社会貢献だと言う人もいます。
でも、その人は本質的には私の定義する仕事はしていないと
私は思います。

私は「仕事」が好きです。
ですから死ぬ直前まで働いていたいです。
今の仕事、プロ家庭教師にも沢山のやり甲斐があります。
その中で一番大きいことは
生徒の人生の進路という主観的な問題を
私の主観的問題として経験させてもらえる点にあります。
喜びも苦しみも共有できます。
頑張り甲斐、自分の力の発揮のし甲斐があるんです。
その中で結果が出ると本当に嬉しいです[わーい(嬉しい顔)]
この時の為に全てはあったと思えるのです。

だらだら長く書いてしまって
慶大生さんの質問について
いいアドバイスはできなかったかもしれませんが
参考までに
カントの『純粋理性批判』「実践理性批判』『判断力批判』をお読み
頂ければ何か見つかるかもしれません。
何も見つからないかもしれません。
これも慶大生さんの主観的な問題なのですが(笑)

(オマケ)
私が個人的に日々数式をいじっています。
宇宙の始まり、成り立ちについても
私は主観的な問題だと捉えています。
ですから何かで発表しようと思う気持ちは全くありません。
このように私がなったのは
最初は諸々ここでは書けない
客観的な問題があったわけですが
それをある時から私は主観的問題として捉えることによって
自分の中で克服したのです。
宇宙の問題は極めて主観的で
宇宙がいつ、どう始まろうが大抵の人には関係のない話なんです。
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コメント 1

慶大生

僕のコメントなんかに丁寧なお返事を頂きありがとうございます。
物理屋さんのブログを細かく色々読ませて頂きましたが、僕がプロ家庭教師になるのはちょっと無理かと…思います。
儲かる儲からないなどと書いてしまって今は恥ずかしいです。そもそも慶應にいれば就職なんて何とかなると油断して留年した僕が悪いわけですし…
就活疲れというか受けても受けても内定をもらえないので自暴自棄になっていた部分もあります。
希望が高すぎたかも知れません。少し希望を下げて考えてみます。
本当にありがとうございます。
by 慶大生 (2014-09-28 12:10) 

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