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第2講 ソクラテスの思想~後編~ [哲学概論]

ソクラテスの項の最後に
ソクラテスが考えた問題に関して
私が現在感じている問題点と解決策を
書いてみたいと思います。
多分、長くなります(笑)

①時間軸の欠如
直接間接の違いはあれども
ギリシア時代のアテネと同じく
現代の日本も民主主義です。
民主主義というのは究極的には
選挙権を多く持っている人々の機嫌を伺いながらやる政治です。
仮に今、日本に必要で正しいことは大増税だとしても
それを自分の信念に基づいてできる政治家というのはいません。
なぜなら必ず次の選挙で自分の政党は大敗し
そうすれば多くの同士が職を失うからです。
国民も自分たちに「おいしい」党にしか投票はしません。
将来のために今増税が必要でも
将来のことより今の自分の生活
今の自分の損得しか考えないのです。
このままいくと50年後の日本はどうなるか?
50年後の日本の為にここは自分たちが少しでも
我慢しようなどという気は毛頭ないのが大多数の国民なのです。
ですから増税後には必ず選挙に負ける、その繰り返しをしてきました。
その度に本当に必要な政策を打てず
現在のような借金が1000兆を超える事態となったのです。

このようなことが続くと民主主義によって
どんどん政治は正しい方向からかけ離れ、
自分の世代だけよければそれでいい。
未来のことは未来の人が決めてくれ、というような国家になってしまいます。
この前もニートの方がテレビで言っていました。
別に働かなくても生きていける世の中だし
働かない人が増えることで国が潰れるなら潰れればいいし
そういう国になるのも結局は自分たちが選択した結果なので仕方ない、と。

このような考え方は全て時間軸が欠如しています。
三次元空間の中でしか(私は空間を三次元だと思っていませんが(笑))
ものごとを考えていないのです。
私たちが現在豊かな暮らしができるのは何故か?
ニートのような生活が成立するのは何故か?
それは勿論偶然という側面もありますが
基本的には先人の人々が今の日本を築き上げてくれたからなのです。
ですから私たちも同じことをしなければなりません。
今の自分達だげがいいだけではなくて
顔も見えない50年後100年後の日本人のために
やらなければならないこともあるのです。
物事を考える際に必ず時間軸というのを
取り入れなければならないと私は思います。

国民の時間軸の欠如を解決するためには
政治的に優秀な独裁者でも現れて
100年先の日本まで続く政策を
断行してもらうしかないのですが
それは現行制度では非現実的過ぎます。
そこで私たちは民主主義の制度のもとで何をすればいいか?

それはソクラテスがアテネ市民にしたように
国民の教育水準を上げるということなのです。
国民一人一人が目先の利益、損得だけでなく将来の日本のことを考えて
正しい選択をできるようになる
しっかりと自分で考えることのできる、善く生きることのできる
国民となるように教育することなのです。
教育と言うのは民主主義国家の根幹です。
これは多数決の原理を考えてもわかります。

②多数決の原理
私は小学生の頃から多数決は必ずしも公平ではなく
一人で考えるよりも多数決で出す結論が
必ずしも優れている訳ではないということを
数学的な原理から主張してきました。
よく喧嘩になりました(笑)
ただ、これも皆が数学の勉強を進めていってくれれば
いつかわかるだろうと思っていました。
しかし、大人になった現在でも
最後は多数決、多数決で決めればそれでOKだ
みたいなことをおっしゃる政治家の方、一般の方がおられます。
これは多分ゴリゴリの文系の方なのだと思います。
おそらく確率的に多数決の原理を考えたことがある人は
多数決が公平で多数決でやれば必ず一人で考えるより
いい結果がでる、などということを考えることはありません。
なぜなら数学的な原理としてそれは間違っているからです。
ソクラテスがいうようにそれを「知らない」ということが大問題なのです。
「三人よれば文殊の知恵」というのは「限定的に」正しいのです。
その限定条件は何か?
このブログでは数式が書けないのと
詳しい数学的議論を書いていると長くなりすぎてしまいますので省略しますが
多数決が正しい判断をする効果が生まれるのは
人があることを正しく判断する確率が1/2を超えた時だけなんです。
個人個人の判断確率が1/2を超えない場合は返って多数決は逆効果になるんです。
ですから国民の判断能力に問題がある国は
民主主義、多数決はうまくいきません。
独裁国家の方がうまくいきます。
それは歴史を見ても今をみても明らかです。
民主主義が正しく機能するためには教育をしっかりとして
国民の判断確率を1/2より高くしなければならないのです。
私たち日本国民有権者の判断確率の平均値は1/2を超えているでしょうか?
私は超えていないと思います。
ですから以前の記事で選挙権の共産化は問題であるということを書きました。
選挙権を20歳以上に無条件にばらまくのは公平ではありません。
政治について必死に勉強して将来の為を考えて投票する人と
何となく嫌々、もしくは雰囲気で適当に好きな人
話題のある人にいれてしまえ!と思って投票する人が
共に一票で、同価値ということに対して私は不公平だと思うんです。
それを公平にするには
選挙権を資格制、免許制にして
五年に一回くらい基本的な政治経済の試験を実施して
それに合格した人だけが
選挙権を得られるシステムにした方がいいと思います。
そうすれば有権者の判断確率を1/2以上にすることは
選挙権の免許試験の難易度によってコントロールできるからです。
よく選挙権を棄権することを批判する人がいますが
その方も多数決の原理はわかっておられません。
政治がよくわからない、わかりたくもない、興味がない
という人は棄権をするというのが
国民の判断確率の平均値を下げない
民主主義における最適解なのです。
だから棄権も時には大切なんです。
政治に興味がないから、最近政治の勉強してないから
選挙に行かないというのは
立派な判断だと私は思います。

だた、現実問題として
私のような限定選挙を主張するような人は世の中にあまりいません。
大ぴらにこんな発言をすれば曲解されて「差別主義者」だなどと言われます。
今の普通選挙の民主主義の中で
私たち、私にできる最善のことというのは
国民一人一人の教育水準を上げるということだけなのです。

③ソクラテスに言いたいこと
ソクラテスは自分の信念を曲げずに死にました。
その生き方は確かに恰好いいです。
しかし、もし理系の私がその時代に生きていたら
きっと次のようにソクラテスに言うと思います。

ソクラテスさんちょっと待ってください。
アテネ市民の判断確率は1/2を超えていません。
ですから「悪法も法なり」というのは精神論としては素敵ですが
数学的に間違えています。
ですからここから一旦逃げて、もっと啓蒙活動、教育活動をしましょう

ソクラテスが裁判でアテネ市民の堕落を糾弾したということは
ソクラテスがアテネ市民の判断確率を1/2より小さいと
思っていたということに他なりません。
そのような状況で下したアテネ市民の判断は間違えている
可能性が高いんです。

④私がやっていくこと、やらなければならないこと
私は50年後100年後の日本人に
21世紀初頭の日本人は無知で目先の利益にばかり
捕らわれて何もしてこなかったから
今みたいなひどい日本になったのだ
などと言われたくありません。
未来の日本人が誇れる善き生き方をしたいんです。
そのために教育の果たす役割は非常に大きいです。
国民の思考力を上げなければなりません。
論理的に考えることができ、現実を直視すれば
今本当に必要なことは何かということがわかる筈なんです。
そういうしっかりと考えられる国民を一人でも増やすというのは
私のこれからの目標であり願いです。

最後にソクラテスについていくつか面白いエピソードを。
ソクラテスは頭のいい人にありがちなよく皮肉を言う人なんです。
その中で有名な話をあげておきます。

ソクラテスの奥さんは非常に恐ろしいことで知られています。
悪妻の代表のように言われています。
確かに気性は荒かったと思います。
しかし、恐ろしいと言ってもある意味常識的でもあります。
ソクラテスは仕事をせず
弟子たちと真理の探究ばかりをしていました。
当然生活は困窮するわけです。
ソクラテスの奥さんはお金にならない哲学などしていないで
しっかり働いて欲しいと思っていたのでしょう。
ソクラテスが家の外で弟子たちと議論をしていると
突然、奥さんは激昂して
ソクラテスに甕で頭から水をぶっかけたそうです。
そういうことをされてもソクラテスは特に感情を乱すこともなく
議論を続けたそうです。
そんなあまりにも奥さんの尻にしかれているソクラテスに
弟子たちは、結婚というのはこんなにつらいものなのでしょうか?
結婚はしない方が幸福なのでしょうか?と問いました。
そうするとソクラテスは「結婚はした方がいい。」と答えました。
何故なのか弟子が聞くと
「結婚をして損はない。良妻を得れば幸福になれるし、
悪妻を得れば哲学者になれるからだ。」と自嘲しました。
その他にも奥さんに水をかけられた直後に
「雷の後に雨はつきものだ。」と言って笑ったり
「蝉が羨ましい。静かな妻がいて」などと言ったりしました。

ソクラテスの名言について興味のある人は
「ソクラテス名言」で検索して頂ければと思います。

私たちは常に学ばねばなりません。
無知を知り、日々勉強
これに尽きます。
勿論ここでいう勉強は紙に書いてやるものだけでは
ありません。
非常に広い意味での勉強です。
私も生徒に勉強を教えていますが
その中で逆に教わることも沢山あります。

長い長いこのブログの記事の
最後はソクラテスの名言で終わりたいと思います。

「勉学は光であり、無学は闇である。」
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家庭教師田中

何で朝書いたコメントを消すわけ?このぶろぐは言論統制があるの?これこそ共産主義じゃないの?
空理空論ならべるなら家庭教師やめれば?哲学者になればいいじゃない。
あなたの最大の欠点はなんでも数学で解決しようとすること、残念ながら数学は万能ではない。
ごちゃごちゃ考えてないでしっかりと働いた方がいいよ、汗を流して働くのが大事。そうすれば余計なことは考えなくて済む。以上
by 家庭教師田中 (2014-07-17 20:38) 

まいける

哲学講義シリーズ、面白いです!

ただ、学ぼうと思えば思うほど、案外学ぶことが難しくなってしまうものもあるのではないか、なんて考えてしまいます。

また、より良い制度を作ることと同時に、自分自身の行動選択の判断精度を上げる努力をかまけてはいけないのだと思わされました。

by まいける (2014-07-17 21:56) 

物理屋hν

同業者の田中様へ
私に対する批判等は書いて頂いても一向に構いません。しかし、朝頂いたコメントは社会のマイノリティの方を蔑視するような内容で、これを承認すると私もそのような考え方だと思われかねないので承認できませんでした。 せっかく長いコメントを頂いたのに掲載できずに申し訳ありません。文章を長く書く大変さは私も日々のブログでわかっております。ですから頂いたコメントを消すというのは断腸の思いです。それでも内容的に不快な思いをされる方がいると思いましたので消去させて頂きました。 また私は仕事を第一に考えておりますので、あまりブログに時間をとられたくはありません。記事を毎日書くだけでも私にとっては結構大変なことですので、それに加え コメントのお返事は時間的にできません。ですから基本的に私からコメントの返事はないこと御理解頂ければと思います。
by 物理屋hν (2014-07-18 00:09) 

通りすがり

僕はこの記事を読んで物理屋さんの教育への情熱と覚悟を感じました。高い志を持たれて家庭教師をやっているんだなと関心しました。この内容は家庭教師田中さんが異議を唱えるような内容でもないと思います。
by 通りすがり (2014-07-18 07:00) 

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