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言葉についてNo2 [雑感]

(メールは手紙か?)
先程の絵文字に躊躇がある人は
おそらくメール=手紙という風に捉えているのだと思います。
メールは手紙の代わりに用件を伝える、手紙よりも速く着く便利なツール。
私も昔はそういう風に捉えていたと思います。

でもメールを会話の一部だと捉える捉えかたもあります。
絵文字を使う時はまさにそうです。メールで井戸端会議をしたり…等
このようにメールを使っている人も多いです。

私の勝手な思い込みですが
なんとなくパソコンメールは手紙として
携帯電話のメールは会話として使われることが多いような気がします。
実際は、携帯とパソコンの間でもメールのやり取りが行われますし
そのときのお互いの関係にもよりますので、このような一般論はなりたちませんが。

メールの捉え方は人それぞれですが、
メールをどのように捉えているか、
つまり会話か手紙か、はメールのやり取りをする前に
相互に確認しておく必要はあると私は思います。
そうでないと片方は手紙のようにしっかり書き
相手の会話調は失礼だと思い、
会話のように書いている人は相手のメールを堅苦しく感じてしまい、
それだけでコミュニケーションがうまくいかないからです。

私も仕事柄、生徒の様子を報告したり、
様々な相談ごとを沢山父兄から頂いたりして、
その返事などで一日何十件(多い時は100件以上)のメールを書きますが、
この時に手紙のように全て書く大変です。
(最近はこの負担が大きいので減らす方向にしているのですが…)
しかも、量を捌くために急いで書いていることが多いので、
表現によっては変に誤解を受けてしまうこともあります。
そういう誤解を回避するのに絵文字顔文字は非常に有効です。
ですから私は会話のように毎日仕事のメールは書いていますし、
そう書くと相手にも伝えてあります。
議論の前にお互いの立場、論点をはっきりさせておくのと同じです。

(マスコミの狡猾さ)
マスコミの報道の在り方について
私はしばしば疑問を感じます。
テレビや新聞というメディアに対して特に。

マスコミは活字のみの表現の乏しさを狡猾に悪用する
ことがよくあります。
これはマスコミは基本的に自分の新聞が良く売れて
テレビの視聴率が上がればいいとしか考えていないからです。
誰かが長い話の中で「仮にAならばBだけど、今はCだからD」といった際にも
Bという発言がセンセーショナルならばそれを平気ででかでかと
取り上げます。
しかも、その取り上げ方が間違っていても大抵の場合
謝りもしません。
天気予報が外れても謝らないのと同じです。
誰かのスキャンダルは長々と一週間取り上げても
マスコミ自身のスキャンダルは一回さらっと取り上げて
謝って終わりです。

ある人がどのような文脈でその人がその発言をしたのかを
知りたくても、編集で切られているので分かりません。
しかし、マスコミは編集で一部の言葉だけを切って
テレビや新聞に書きます。
マスコミに嫌われた有名人というのは消される運命にあります。
好かれている有名人は、沢山持ち上げてもらえます。
有名人はマスコミの機嫌を伺わなければ生き残っていけません。
それくらいの力が、マスコミには
言いかえれば言葉にはあります。

その力を過信してどこかの新聞社の方は
国まで自分の思うように動かそうとされていましたが…

(まとめ)
以上のように
言葉というのはいかようにも解釈できる厄介なものです。
言葉の意味は基本的には文脈が決めます。
また活字だけでは中々本当の意味は伝わりません。
一人一人ある言葉に対してどのような印象を持つかは
違いますし、表情や雰囲気を読めないからです。

私自身ができることは
ある情報が信頼に足るのか否か自分の頭で考えることです。
それには様々なトレーニングを自分なりにしていかなければなりません。
コミュニケーションを円滑にするための道具としても
言葉についてもしっかりと考えていかなければなりません。
どんな出鱈目な情報を流されても
私たちがしっかりとそれに対処できる力があれば問題はありませんし
マスメディアに自浄努力など期待できませんので
そうするしかないのだと私は思います。
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