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人の話を聞いているか [家庭教師のお仕事]

私は非常に意地悪な家庭教師です(笑)
生徒が話をしっかり聞いているか
考えて私の話を頭でまとめているかを試すために
ときどき間違えたことを言ってみます。
その間違えを即座に指摘できる生徒は
非常によく私の話を聞いています。
そうでない生徒は
私の言葉は耳を通過しているかも知れませんが
頭には届いていません。

ぼけーっとしている生徒に
「しっかり私の話を聞いてますか?」
と言うと
99%聞いてると答えます。
同じような言葉に
「しっかり勉強しましたか?」
というのもあります。
これも
99%やってると答えます。
これは私の意図している意味と大きくズレています。

ですから
「聞いている」
「勉強をした」
と言う言葉を
私が使う定義をまず生徒に話すことにしています。
今日は題名通り「聞く」ということについて書きますが
「勉強する」ということも後日書きたいと思います。

「聞く」というのは
しっかり頭の中でまとめながら聞けてるか
ということです。
まとめながら聞いていると
話が不十分だったり、おかしかったりすると
すぐに質問がでるはずなんです。
また教える側として
何かを話すときは一つの話として
しっかりと話を完成させて論理的に話さなければなりません。

「学校の先生が~と言ってたんですけど」
と生徒から学校の授業の中での先生の発言を
聞かされることがありますが
そういうときも学校の先生はしっかり話をしてないし
生徒の側も全然聞いてないな、といつも思うんです。

先日、生徒が
「今日国語の先生が、最近の学生は国語力が落ちてるから
駄目だな~と言っていました。」と言うんです。
ですから
私は「それで?」と聞くと
生徒は「それだけです。」と言うんです。
「????????」
ちょっと待って欲しいです[exclamation×2]
私がその場にいる生徒だったら必ず手を挙げて質問します。
①落ちている国語力とは具体的に何か?
例えば、 語彙能力か作文能力か読解力か
②「最近は」というのはいつか?
また最近といつの時代とを比べたものなのか?
③落ちているという根拠は何か?
④落ちている原因は先生はどんなものであると
推定しているのか?
⑤また落ちているとするならば、今後個人レベル
全体の教育レベルとしてどのような対策をすれば
良くなると先生は考えているか?

本当は他にも色々ありますが
最低限①~⑤までを話をして
一つの話としてのパッケージだと思います。
まずは学校の先生が教師として
しっかり話を論理的に組み立てた上で話すべきです。
ただの感想ではないわけです。
そうでなければ教師としての資格はありません。
しかも国語の授業の中で国語力が落ちているという話なら尚更です。
次に、その先生が話したことに対して
生徒から質問がでない、不十分な話に対して何の疑問も感じない
これも大問題です[がく~(落胆した顔)]
しっかりと話を頭の中で整理して聞いている人がいないのでしょうか?
もしかしたら恥ずかしくて質問できないのかも知れませんが
相手が不十分な話をしているので何の躊躇もいりません。
生徒がそこで先生にしっかりと質問して
こっちはしっかり聞いているんだぞ!
というアピールをすれば
学校の先生も次からは話し方を考えるんです。気をつけるんです。
そうすれば相乗効果のように授業の質は上がっていきます。
そうでなけば教師がいい加減な話をし、
それを生徒が聞いたような感じで対応するというとんでもない
授業になってしまうんです[ふらふら]
生徒の取り組み方によって授業の質が変えられることは
私は高校の時に痛いほど体験してきました。
私の高校では教師はおかしな授業をすると生徒から大変な
質問の嵐、批判の嵐を受けることになるんです。
生徒が先生により高い水準の授業を要求することは当然のことです。
それによって自由な校風でも授業の質が担保され学力が落ちない
ということがあります。

人の話を聞くというのは
鼓膜を震わせられただけでは駄目です。
脳に電気信号として届いただけでも駄目です。
頭の中で整理しながら
「主体的に」聞かなければ駄目です。
それができていれば
こちらが不十分な話をしたら
当然質問がでる筈なのです。
ですから私は時々私の話をしっかりと「聞いてるか」どうか
確認するために、不十分な話を生徒に投げかけます。
そのとき生徒から質問がくれば
私の話を聞いていますし
そうでなければ聞いていません。

この方法は非常に力がつきます。
文章を読む、書くということも結局は同じことだからです。
ただ授業の時間制限上
二時間授業に一回くらいしか試してみることはできませんが
それくらいの頻度で生徒に問いかけるだけで
生徒の聞く力や反応にも随分変化がでてきます。
逆に言うと私たち教師が授業中
何か意見や話をする際には
しっかりと不十分なことがないように気をつけて話さなければ
ならないということです。

私はこうした勉強の本論以外のところでも
生徒の力を伸ばすように出来る限りの工夫をしています。
以前、ブログの記事でスポーツの例を挙げて
「全てを目的意識をもってやる」ことの大切さについて書きました。
日常生活の中でも些細なことでも、運動神経は鍛えられるので
スポーツの練習になるということです。
今回の「話を聞く」ということが、勉強で言えば正にその一例です。
これ以外にも授業中の普通の話の中等で
生徒の力を伸ばす為にやっていることはあります。
それは今後、順を追って書いていきたいと思います。

あ!!!!
この「話を聞く」というのは勿論授業中のことで
TPOを弁えてやらないと人間関係に支障をきたします(笑)
例えば日常会話の中で相手に
「今の話は不十分です。質問があります…」
なんて言うと100%嫌われます。
感想文、例えば「私はしいたけが嫌いなんだ。」
というのに別に論理性など要りません。
感じるのはどうしようもありませんし、感情に共感するというのは
コミュニケーションとして非常に重要です。
普通の普段の話には論理性や何やらを持ち込む必要は一切ありません。
しかし、授業の場や議論の場においては
「人の話を聞く」というのは大切で
そういう力をつけなければいけないと
いうことです。

私のブログに関してコメントを頂くときもこれと同じです。
「面白い」「つまらない」「~こう感じた」という感想文は
どんなことをどんな形式で書いても構いませんが
「自分はそうは思わない」とか批判や意見の類は
最低限の根拠は添えて頂きたいというのが本音です。
そうしないと話が全く分かりません。
しっかりとフォーマットの整った批判、意見は大歓迎なのですが
感想、感情が混ざったものですと
私もどうしていいか分からないのです。
反論もできなれば、その意見を聞いて改善もできないのです。
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