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何に価値をおいて生きるか [雑感]

神は死んだ
ツァラトゥストラはかく語りき
の冒頭に近い部分で
ニーチェは主人公にこう言わせて
いますが

人生という非常に不条理なものに
対して
どう生きるのか?
何に価値をおいて生きるのか?

人間にとっては
非常に重要な問題だと
私は思います。

誰しも人は皆死ぬ
地球は確実に太陽の膨張と共に
住めない星になり
確実に人類は滅びるという
不条理さが
あります。

色々病気になって
早く死んだり
不幸が沢山訪れたり

人それぞれ
色々な問題を抱えて
生きていくのだと思います。

その中で
私は「ただ生きる」のではなく
1人1人が価値を見つけて
生きて欲しいと思っています。
そう生徒によく話をします。

「ただ生きる」というのは
ただただ消費をして生きるということ
です。これは時間も含めた全てにおいて
ですが。消費の為にお金を稼ぐ……
それも本当は、そうならない人生を
送って欲しいです。

日本には宗教が基本的にはありません。
神はbeing deadなのです。
その中で、だからこそ
生き方、価値観の自由があって
それは本来素晴らしいことでありますが
それを探求し続けなければならない
大変なことでもあります。

この何に価値をおいて生きるか
というのは
人生の前提条件でもあり
探求対象であります。

もし
時間とお金があるなら
その時間とお金を
消費に使うのではなく
自己投資に使うべきだと
私は思います。

これは私の価値観ですが(笑)

勿論
ものを買うのが
悪いという話では
ありません。
ものの値段も買う人
にとっての価値を
表しているからです。

昨日生徒が
ニュースでカニが競りで1000万で
落札された
馬鹿じゃないの?僕なら車を買うのに。

と言っていましたが

これは買った人の
経済力つまり買った人に
とって1000万円が
どのくらいの価値なのかは
人によって変わります。
それと同時に
かにに対する価値観
これは「自分の1000万円」
に値するというものなので
それはその人の自由、生き方みたいな
ものなのだと思うと
いう話をしました。

お金というのは
あくまでも
相対的なもので
本当にあてにならないものです。
今、1ドル150円になって
数年前の100円と比べれば
アメリカでドルで給料をもらってれば
日本円換算をもしすれば
給料がだまって1.5倍になっているのです。
インフレやデフレ
そういう諸々の影響を受けて
価値は変わってしまうのです。
その辺をよく考えて
ほしいなあとは思います。
無論通貨を批判してる訳では
ないです。
ある意味人間の価値観が試される
非常にいい仕組みだと思うからです。

自分にとって
絶対的な価値観、自分はこうありたい
自分はこう生きたい
そういうものが
ある人は強いですし
幸せだと思います。
それを身につける為の
人生みたいなところが
あります。

私は
私の信念を持って
プロ家庭教師をやっているわけで
それに対して
価値があると考えて頂ける方が
いるから
仕事として成り立ってるのです。
これはなんでも同じ。

プロ野球選手も
野球ってただの遊びですが
その遊びを極めた人たちの
戦いに
価値があると思ってくれる
人がいるから商売が
成り立つのです。

でもそういうものは
全て相対的な価値であって
相手が価値があると
認めてくれる
必要があるものです。

人生において
何に価値をおいて生きるのか?という
のはそういう相対的な価値観では
ありません。

これは真剣にお話をすると
非常に難しいお話です。
私もまだ分からないことだらけです。
でもそれが私の人生なのでしょう。

まずは
自分がどうありたいのか?
そこからスタートして
あとは必死にそれに対して
探求していくもので
それが生きている間に答えが
でる補償もないですが
答えを出せずに
もがくのも一つの価値観なのだと
思います。

今日も
しっかり生きたい
いい授業をしたいと
私は思っております。



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