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勉強のやる気がでないシリーズ(私的幸福論):後編 [家庭教師のお仕事]

ただ人生
そうはいっても
多かれ少なかれ
やらなければないけないことが
あります。
多くの人にとって
そちらの方が多いのかも知れません。
受験勉強もその類いであることが
主流なのだと思います。

受験勉強も好きな人には
勝てません。
中毒状態でずっとやれるので
でも多くの人にとって
私もそうですが
好きで楽しいことでは
ないと思います。

そこで
自動的にやらなきゃいけないタスクや
物事があった時に
それを楽しめるか?
言い換えると
その中に楽しみをいかに見つけられるか?
というのが1番大切だということです。
これは人生の中に楽しみを
見つけられるか?
人生を楽しめるか?という幸福論でも
あるのです。

唐突に結論を書きます。
本当はもう少し色々詰めたい
お話をしたいことがあるのですが……
それは一冊の本レベルに
長くなるからです。

世の中のさまざまなこと
やらなければいけないこと
自分の人生におそいかかること
というのは
楽しいことばかりではないです。
ただ、それをいかに楽しめるか?
それが私は一番大切で
あるものごとの中に 楽しみを見つけられるかどうか? それが知性だと私は考えています

例えば
英単語を覚えるにしても
ただただ 試験に出るから
暗記しなければいけない
合格という報酬があるから
一生懸命 覚えるんだ
という人に比べて
英単語 覚えるということ自体に
楽しみを見いだせる人
例えば 語源とか色々な工夫をして
英単語を覚えること自体を
自分に楽しいという風に変えられる人
には絶対に行かないません。

これは
普通の人生を 自分なら楽しいものに変えられる! というのと 同じことで それが知性の最大の働きで そのために私達は知性を身につけないと いけないのです。

人間は楽しめること
好きなことをやる時に
一番力が発揮できるのであって
いかに そのメンタリティに
持っていくことができるか
それが勝負だと思いますし
それを色々な方法でできる人が
知性の高い人間だと私は思っています。

何も遊び道具もないところで
どういう楽しみを見つけられるか?
どういう面白さ
意味を付与できるか?が
人間力なのです。

私は仮に今
懲役10年になったとしても
その10年を楽しむ
自信はありますし
癌になってあと1年しか
生きられないとしても
その1年を十分楽しむことが
できるという自信があります。

自分に起きた一般的には
よくない出来事まで
楽しむことができれば
そういう 変換する知性があれば
人間というのは強いと思います。
もはや 逆境が逆境じゃないので
楽しみですらある。
努力が努力ではなくなるので。
幸福な人生を送れるでしょう。
知性は幸福に直結している
これが私の哲学的な結論です。

私は生徒に授業をしていて
そういう知性を身につけてほしい
そういうメンタリティーを持ってほしいと
思って生徒に接しています。

だから今まで書いてきたような
いかに楽しめるか?という
工夫を
私が生徒に直接与えてしまうと
何の意味もなくなるんで
それはこちらが教える側が
我慢しなきゃいけないこと
なのですが

もちろん 生徒の中には
その目の前の利益だとか
報酬つまり合格のためでないと
やりたくないみたいな人もいます。
まあ それはそれで仕方ないです。
最終的には生き方、価値観の違い
みたいなもので。
別に私の生き方が正しいと
思ってないですし
それは人それぞれなので
ご自由に案件なので。

ただ
私の考えは私の考えで
伝えます。
それがいつ役に立つか
何かのヒントになるかも
知れないからです。
また
同時に私という人間と
付き合いやすくなる可能性も
あるからです。

以前
日本人にはモラルがない
という話を書きました。
海外の実験で
先生とか誰かに見られてると
日本人は勉強するけど
見ていないとしないみたいな
人に見られてるか 見られてないかで態度を変える
これは非常に
日本人の特徴として
面白い部分です。

宗教を信じてる人は
誰が見てようが見てまいが
神様が自分のことを常に
見ているので
態度が変わらないのです。


大谷さんが野球をやる
練習をするというのは
別に誰かに見られてるからでもなく
何億円という報酬が欲しいわけでもなく
ただただ好きでやってるわけです。
だから試合にも出たいですし
怪我でなんとかとか
キャリアが何だとか
そんなちっぽけなことは
考えてないというか
ただただ好きなんです。

WBC の優勝の祝勝会でも
他の選手が驚いたのは
大谷さんは自分で食事制限を
しているので
余計なものは食べないとか
飲まないとか
そういうのを徹底してるのが
偉い!てみんな他の選手は思ったと
思うんですが
別に大谷さんにとっては
それ努力じゃないんです。

私達の人生は
なにものでもない
無駄なものです。
ある人が生まれて死ぬ
地球も人類もやがて滅びるのは
確定事実で
その観点からいえば
全ての人類の営みは無駄なことです。
最終的には
何も起きなかったのと同じように
宇宙の塵となるからです。

でも
その「空なる人生」を生きるのは
他でもない自分自身で
その人生に意味を付与するのも
自分自身です。
私達人類には知性があります。

芸術にしたって全く同じことです。
これは私の長い長いブログでは書けない(笑)
芸術論があるのですが
絵画にしても音楽にしても
知性の働きによって
「空なるもの」に意味を付与するという
ことなのです。
楽しんでるです(笑)

私の受験指導というのは
表面上
第一志望合格という
報酬に向けた
努力ですが
それだけで終わらせたいとは
思っていないということです。
何よりも
生徒に知性を身につけて欲しい
どういう考えをもてば
知性を磨けるのか?を知って欲しい
そういうことを
本当は何よりも伝えたいと思っています。
受験はその一つのツールである
くらいに私は捉えて
楽しんでます(笑)
人生楽しめるのが一番ですし
その為には
意味を見いだして楽しむ
知性が必要です。
知性がない生物は楽しめません。

生徒の大半
私に指導を依頼されるような
生徒(笑)の大半は
受験を大学へ行くための苦行だと
解釈していると思います。
いい大学、いい学校に入れば
有利だとか
人生にとってプラスだとか
報酬と捉えても非常に曖昧な
努力しづらい
ものなんです。
でも、そういうものだからこそ
そこに
楽しみを見いだせるか
受験を楽しめる知性があるかが
大切で
もし楽しむことができるのならば

勉強のやる気がでないんだけど
どうしよう?
人生の生きる意味がわからない
んだけど
どうしよう?
みたいな問題は昇華されてしまうのです。
そして
それを実現可能にするのが
人間の知性なのです。

受験勉強でやらなければいけない
ことは沢山あります。
物理の点数を取れるようにするには
ゲームと同じで
沢山の演習実践が
必要になります。
それをいかに楽しめるものに
できるか?
そしてもし楽しめれば
もはや
それは努力でもなんでも
なくなるんです。

これは幸福化のトレーニングと
いってもいいです。
どんなことでも
楽しめるものにする
その中に楽しみを見いだすことが
できれば
どんなことが起きても
楽しみに昇華することができるのです。
その世界線において
もはや勉強の
やる気があるとかないとかの
問、自体存在しないのです。
やる気がなくて出来ないものしてる自体
知性が足らないということです。

人間がここまで進化してきたのは
楽しいからだと私は思っています。
楽しんだから
知性が磨かれ
知性が発達したから
楽しめる。
その循環の中で
芸術が生まれ娯楽が生まれ
スポーツが生まれ
ありとあらゆるものが
文化として生まれてきたのだと
思います。
そうやって人類は
個々の人生という「空なるもの」
に意味を付与して
昇華させてきた。

このいわば伝統にしたがって
私達1人1人が
自分の人生を楽しめるものに
変えていく
それが知性ある人類の
幸福なのだと私は考えています。


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