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弱者マウント [雑感]

ここ十年くらいでしょうか……
社会的弱者がマウントを
取るようになってきました。

たとえば
私が何か弱者であるとしましょう
弱者というのは
この場合マイノリティの
話ですが……

何かでは分かりませんので
適当な例を……
この例を挙げるのも躊躇される
くらい
社会は腐ってるのですが……
ごちゃごちゃいいだすので

まあ
私が社会的マイノリティ……
ベジタリアンだとしましょう。


「この世の中は生きにくい!!
ベジタリアン食を
全食品店で
作るべきだし
そういう表示を義務づけるべきだ!
そうすれば
ベジタリアンは安全だから
食品の安全性に対して平等な
権利を!」

こういう阿呆な主張にたいして
今の社会って
ああそうだよなあ
不自由だよなあ
マイノリティにも優しい
平等な社会に
しなきゃな

じゃあ
それを法律で義務づけよう!
そういう
呆れたオワコン社会です。

この私の主張のどこが
終わってるかさえ
多くのようはマジョリティ、
強者の人は気付いてないのです。
少数の弱い人、困った人がいたら
助けてあげよう
それが強者の中での名声となり
徳となる

いいことしてやった感さえ
だして
最終的にクビを締めるんです。

まず問題点その1
全てが自己申告であること

私はベジタリアンです
私はトランスジェンダーです
私は47歳ですが病気で精神年齢は
10歳です……
私はトランスエイブルです
つまり自分は障害者だと自認してます。
これらは
客観的に証明できません。

弱者の障害者になるために
自分で腕を切り落とす人でさえ
います。

まあ
これらの本当かどうか?
問題は確認できないので
さておき

これらのマイノリティの方は
自分の人間性、権利を
尊重して欲しいrespectして欲しいと
訴えるのですが
おいおいおいです。

それなら
同時にマイノリティの方も
マジョリティの考え
社会としてどうなければならなければ
いけないか?
等々
respectしないとアカンです。

respectというのは
mutualで
あるべきで
相互性のないものは
マウントです。

今はこの少数者によるマウントが
横行して
それをマジョリティが阿呆だから
相互性を忘れて
可哀想だから
不自由だから
少数意見をなんとか……
ってなってるんです。


私は実は マイノリティの方、弱者が マウントを取ること自体 「悪」だと 思ってません!それは マイノリティにとってそれが 最適戦略だから 自分に都合がいいから 聞いてくれるなら いくらでも言った方が得ですよね?
だからそうする、これは極めて
知性的な戦術、戦略です。

単純に
マジョリティが阿呆なだけです。
マイノリティの意見も尊重するけど
それなら
マジョリティの意見もこういう部分は
尊重しろよ
……で折合いをとるものなのです。

でも
今の弱者マウント社会では
弱者の意見が金科玉条のように
重んじられ、気にされて
それは
弱者に配慮してるんだという
強者の自己陶酔&徳?アップのために

こういう社会はどんどん
加速していきます。
それは当然
先ほど言ったように
マイノリティにとって最適戦略だから

これに気付かずにはいはい
聞いていく社会の極限は国家転覆なのです。
民主主義において
マジョリティが阿呆なのは致命的です。
そもそも多数決で決めるとって
今の社会があるわけで
そのイデオロギー、存在自体の否定になるからです。

respectは相互に成されるもので
そうでなければマウントなのです。
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