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成果主義(後編) [家庭教師のお仕事]

この成果主義の阿呆なところ
それは
少し考えてみれば分かることですが
目標、ゴールは自分で設定して
自分でその期間で評価することだ
と私は言いましたが

実は
万人に共通するゴールがあります。
それは「死」です。
人間は遅い早いはありますが
必ず死にます。
死ななければ人間ではないからです。

人間は
実は「死」という絶対的尺度の
目標、ゴールをもっているのです。
ですから
成果主義が意味のないことは
成果主義を万人で上手く機能させる
唯一の方法
それは
自殺、死ぬことだからです。

人間の命が限られていること
限られているから
真剣に生きられます。

どう生きたいか
どんな自分で死にたいか
を考えること自体
成果主義とは矛盾するのです。

私は
第一志望合格率75%を目標に
毎年闘っていますが
これが達成できた年は
私がいい仕事をして
達成できなかった年は
いい仕事が出来なかったのでしょうか?
失敗は悪でしょうか?

私は全くそのようには思いません。

自分が生徒に向けて
真剣に投げかけてきた
ひとつひとつの
教え、指導に対して
常に自分のできる限りのこと
その時に考えられる
全てをぶつけて臨んでいるんです。
ですから
失敗したとか
そういうことは一切思いません。
勿論
何か自分を前進させるものが
あって
それがあれば私は反省します。

でも
失敗した年の自分が悪かった
なんて考えは一切ないです。
それは全力で闘ってきたので。

人生って
全てがcontrol下にあるわけではないです。
当たり前ですが。
神様でもcontrolできません。
ですから
仕方ないのです。
最善を尽くしても上手くいかないことがある。
野球選手を目指していても
いろいろ日日運の要素
自分ではどうにもならない要素ばかりなのです。

究極的に
死というゴールも自分では
どうにもならないのですから。

ですから
最善を尽くすことが大切で
成果はある意味どうでもいいのです。
どうにもならないので。

私が精一杯教えて
昨年度もそうですが
入試でほとんど……これ授業で
最近やったんじゃない?
問題が出題されても
出来てくる生徒、へぐってしまう生徒が
いるんです。
これはもう
私はやることをやりましたし
生徒も、もし両方やることをやったので
あれば
人間だから偶然記憶が飛んだり……いろいろ
あって
それは仕方ないのです。

慰めでもなんでもなく
受験結果が人生のゴールでは
ありません。
落ちても受かっても
その短い目標設定に対して
成功不成功があるだけで
それ以降の
人生を保障するものでもなんでも
ないのです。

失敗したら失敗したで
新しい目標をたてて
それに向けて日日がんばればいいのです。

去年
三冠王の村上さんが
今年酷い成績だから
去年が成功で今年やった
努力が全て失敗、無駄ではないのです。
去年より
今年積み上げた練習は
必ずプラスになっているのです。
今年の結果は瞬間の表層でしかないです。

それを理解して
短期的に結果に一喜一憂せずに
頑張って行くことが大切です。

実は
私のプロ家庭教師のお仕事
指導は
そういう考えられる
知性を身につけてほしいと
思って
そういう工夫を1番多くしています。
ものごとの
考え方捉え方は
得意不得意があって
その中で自分はとういう考えをしていけば
いいのか?
そういう試行錯誤を私の
授業ではしてもらっています。
そして
この練習は受験という成果以上に
人生で大きな財産になる
と私は確信しています。

ですから
私も目標は短期的にでも
第一志望合格率75%ではないです。
スローガンとしてはそうですが。
それよりも
一コマ一コマの授業で
生徒をいかにimproveしてあげられるか?
それが私の本当の
プロ家庭教師のお仕事だと思っています。

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