SSブログ

自分と正反対のもの [雑感]

私は自分と全く反対の意見や考えの人の本や新聞
テレビ等を見たり聞いたりするのが好きです。

私は中学生くらいまでは現在で言うと極右思想でしたが(笑)
その後、右翼の抱える大きな問題点に多く気がつき
軽めの右翼思想になってきました。
今の時代に右も左もないかもしれませんが
それでも私は左翼ではありません。

人によっては自分と同じ思想や意見を聞くのが好きだと
いう人もいると思いますが
私は全く逆です。
自分と同じ意見の媒体を読んでも
全く刺激を受けませんし、楽しくありません。
自分と違った意見の人がどんな風にその考えに至ったのか
どういう風に物事を捉えているか、ということに興味があります。
そしてそれを知った上で、頭の中で議論をしながらテレビを見たり
新聞を見たりするんです。そうすると本当に考えは深まります。
物事というのは一方の光だけで見てはよくその姿は見えません。
他の光を当ててこそ本質がわかる、立体的に捉えられると思うのです。

ですから、政治思想関連で言うと
基本的に左翼的なものを意識的に見たり聞いたりするようにしています。
新聞は朝日新聞ですし
ラジオも左翼の論客の人がやっている
放送を楽しみに聞いています。
テレビも同様です。そういう特番があると必ず録画します。

これは政治だけでなく宗教もそうです。
私は科学者なので無神論者、無宗教ですが
キリスト教、イスラム教、仏教の勉強をするのが好きです。
本当に信者になったつもりで勉強します(笑)
超常現象や心霊現象、都市伝説のテレビも好きです。
そういうものを見て自分の頭の中で討論したり
もしくは
へえ~こんな考え方もあったのか~と参考にさせてもらったりするんです。
同じ思想や同じ考えの人の本を読んでも
得られるものは少なく、頭の中で行われるのは確認作業のようなもの
なので何の刺激もないんです。

ただ正反対のものでも
あまり根拠を示さなかったり、反対意見に対して
論理的に説明してくれないものは嫌いです。
宗教にこういうことは多いです。
煙たい質問はNGでただただ信じろと言われます。
それではただの妄想でよりよいものにはなっていきません。
頭を使わず無根拠に信じることほど、
理性からかけ離れたことはありません。

妄信することは
人間らしさの対極にあるものです。
人は考えることをやめたら終わりです。

まずは言われたことを疑ってみる、それがスタートなのです。
私も私の考えていること、意見、思想を信じてはいません。
常に疑っています。
その疑問のいいお手本を示してくれるのが
自分と正反対の意見なのです。
自分と正反対の意見から自分を攻めてみて
それでも揺ぎ無いものであれば今の私の考えは
それなりに妥当だということです。
勿論、今大丈夫でも明日どうなっているかはわかりませんが。

また
何かで討論する際に
相手のことを勉強していない
というのでは討論は成り立ちません。
仮に私が死刑制度に反対だとすると
死刑制度に賛成している人の意見や読み物を沢山読まないと
相手のことも批判できないですし
議論自体が成立しないんです。
自分と違う意見をよく知るということは非常に大切です。

話は少し逸れますが
本屋さんで立ち読みする時も
これは普通読まないようなあというような本を
敢えて読んでみます。
そういう中から自分の思考ルーティンでは絶対に思いつかないような
発想が得られる可能性があるからです。

よく「本棚をみればその人がわかる」
などという言い方をしますが
それは間違っていると私は思います。
なぜなら、私の場合自分の考えとは真逆の本が本棚に
飾られているからです。
それを総合すると私とはほぼ真逆な考えの私が
できあがります(笑)

勿論、様々な媒体に触れるということは
知識を増やすという一面もあるので
そういう意味では自分の考えに似たもの、必要なもの
に触れることも絶対に必要です。
しかし、そのレベルをある程度卒業したら
今度はどんどん自分の持っている意見を切り崩す
トレーニングをした方がいいです。
自分とは180度違う意見と自分自身をぶつけてこそ
自分自身の考えが深まっていくと私は思んです。



nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 2

塾講師M

確かにその通り。宗教の一番の問題は自己検証性がないということ。神が存在するかしないか検証しない、教義が正しいかどうか検証しない。教義の改変は常に自分達の都合が悪くなったときのみ。それに疑問を呈する人間がでてこないのはおかしい。もっとも洗脳という手口からも分かるように信者に考えてもらっては困るのが宗教の本質なので当たり前と言えば当たり前なのだが。
by 塾講師M (2014-07-26 06:41) 

月のカケラの友人

先生のブログを読む度にまた大学院入試の授業を受けたくなります。
本当にエキサイティングで楽しい授業でした。私は毎回講義を録音していましたが、その時代に動画があれば…といつも思います。
先生は本当に物事をよく考えられていると感心します。先生はお忘れかもしれませんが、私がノーベル賞を取ったチャンドラセカールのプリンキピアの中にある証明について質問したところ、たった数行の式を黒板に書かれ、本に書いてある証明よりも遥かに簡潔かつ美しく解かれていました。どうしてそんな解法を思いつくのか本当にこの人は宇宙人なんじゃないかと思いました。ただ色々考えてみると先生は古典物理は高校で終わらせるべき無駄なものだとか、数学は証明という足枷を嵌められずっとその場で足踏みをしているようなものだから嫌いだとかおっしゃられていましたが、実はそういう基礎の部分を非常に考えられているのだということが最近になってわかります。様々な歴史上の物理学者と対決しながらやっていく授業も、実は難解でまだあまり理解できていませんが、非常にエキサイティングでした。そんな先生が家庭教師をやられ中学生、小学生に一体どんな授業をされているのか
非常に興味があります。
by 月のカケラの友人 (2014-07-31 10:02) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0