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「普通」の上昇 [雑感]

おはようございます。
昨晩は帰宅後にブログを書かずにパタッと眠ってしまいました。
今朝は例によって五時に起き
そして仕事をして
今休憩をしながらブログを書いています。

今日は…
もう12月26日ですね…
時間が経つのが早いです。
相変わらず髪の毛を切りに行く時間がなく
もうかなりボサボサ感が一杯です。
どこかで行かなければやがて長州力さんか
ムッシュかまやつさんになってしまいそうです(笑)

最近
忙しくてほぼ受験のことしか考えていませんが
「忙しい」ということ自体にも
頭が働きます。
世の中便利になったのに何で余計に忙しくなったのか?
これは矛盾ではないか
という人がよくいますが
別に私は矛盾してはいないと思います。

昔より炊事洗濯が楽になり
コンピュータの普及により様々な活動が
スピーディーにできるようになり
余暇が生まれたのにも関わらず
全然ゆとりはなく、更に忙しさは増し
うつ病などのストレスを起因とした現代病が蔓延しています。
生活が楽になるための道具を開発すればするほど
忙しくなってしまうという皮肉な結果です。

これは全然不思議なことではないと私は思います。
それは、生活が便利になればなるほど
「普通」という水準が上がるからです。

私たちの世の中は稀少なものほど値段が高く
人が普通にやっていることよりも
それに付加価値をつけたり
やっていないことをやる方が価値があがります。
簡単な話でいうと儲かります。
皆と同じように「普通」にやっていては普通で終わるんです。
これはいつの時代でも同じだと思います。

世の中が便利になると
その「普通」の基準がどんどん時代と共に上がっていくんです。
コンピュータの無い時代に人は10の仕事をするのが普通であったとすると
20,30働けば他の人よりも上に行くことができます。
ところがコンピュータが普及して便利になって
普通の人が100の仕事をできるようになったとしたら
その中でリードするためには200とか300の仕事をしなければなりません。
これは20、30の時の忙しさと変わらないか、それ以上に忙しいです。
ですから世の中が便利になっても忙しさは変わらないか
もしくは増しているんです。

これから科学が進むにつれ
情報処理能力は更に進み
皆にとっての「当たり前」「普通」というハードルがどんどん上がっていきます。
私関連で教育について言うと
英語はできて当たり前
コンピュータプログラムはできて当たり前…
などと普通の初等課程での当たり前つまり
必修科目でやるべきことがどんどん増えていきます。
そんな時代の中で更に
他の人より一歩先を行くには
もっと努力をしなければいけないんです。

…とはいっても
人間なんてそんなに早く進化できません。
ですから「普通」の水準があがるとともに
人の精神的な限界が迫ってきているんです。
これを打開するには
進歩をやめるか、競争をやめるしかありません。
しかし、それはとても私が生きている間の
現実には起こりそうにありません。
ただ
いつかここに哲学的に考えて
人類がどうしていくべきかを考えていかなければ
人類は内部から、つまり自分の精神の破たんから
終わりを告げてしまいます。

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