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言葉の乱れについてNo1 [雑感]

私は職業がら、小学生~高校生とよく接していますので
よく言われる「若者言葉」に接する機会が多いのです。

よくそのような若者の話し言葉を捕まえて
言葉の乱れをマスメディアは指摘していますが、
私はそれはおかしいと思っています。

そもそも「日本語の乱れ」という概念自体が私はないと思います。
言葉は生き物です。
時代時代によって変わってきます。
昔の言葉から見れば
マスメディア等で範とされている日本語も十分に乱れているのです。

しかもこのような捉え方をされる時には
重大なポイントが無視して論じられています。
それは、若者の言葉の乱れとされるものは
あくまでも口語によるものです。
口語で若者言葉を使っていても、
文章を書かせるとしっかり普通の日本語で書ける
若者は沢山います。

若者言葉で学校の作文を書く人なんて出会ったことがありません。
書く言葉までも若者言葉で書いたら
日本語の乱れを指摘される方にも少しは共感できますが……
実際はそのようなことはほとんどありません。

若者は自分たちのグループの中でだけ通じる言葉を
作って遊ぶのが、代々好きなのだと思います。
これは若者だけではありません。
大人にも業界用語というのがあります。
コンピュータ関連なら、コンピュータ関連の用語があります。
(たとえば、コンピュータ業界で使う「物理的に」「論理的に」などは、私たちが一般に使う
「物理的に」「論理的に」とは全然意味が違います。)
マスコミにもマスコミの等……その分野ならではの
その分野でしか通じない言葉というのが五万とあります。
また、地方にはその地方にしか通じない方言があります。

これらは言葉の乱れでしょうか??

私は乱れではないと思います。
そのコミュニティが円滑に意思疎通する為に
新しい、その中でしか通用しない言葉を作るのは
極めて自然な文化活動だと思います。

若者が自分たちの仲間だけで通用する言葉を作る
これは、むしろ歓迎すべきことだとさえ私は思っています。

言葉は勿論、公の場で通用する言葉というのを学ばなければなりませんが、
それをいつも使わなければならないということは全くありません。
おそらく多くの人が、口語においては
「乱れている」と言われている業界用語を使っていると思います。
自分のことを顧みずに
若者の言葉だけを乱れているなどというのは
著しく公平さにかけるのではないでしょうか?

言葉というのはまさしく自然淘汰の世界です。
辞書の意味など、参考にはなりますが
辞書を引けば100%意味が分かるなどという
凝り固まった考えでは言葉は死んだようなものです。

どんどん新しい言葉を考えて
定着しないものは自然淘汰されていく
それが言語として自然なあり方であるように私は思います。
日本語には明治時代に日本に入ってきた翻訳語もかなりあります。
それらの中には、明らかな誤訳も沢山あります。
でも、その乱れ過ぎた言葉も定着して
私達の生活の中で市民権を得ている訳です。
学者が訳した誤訳の方が、若者の作った言葉よりも
権威があるなどということは絶対にありません。
またその定着した言葉を今更直す必要もありません。
定着すればそれがスタンダードなのです。
そのコミュニティの中で、ある言葉でお互いが共通の概念を
思い浮かべることができれば、立派に言語として成り立っているのです。

ですから言葉には「乱れている」という概念自体が私はないと
思っています。

生徒が私の知らない言葉を使ったら
むしろ教えてもらっています[わーい(嬉しい顔)]
それが授業を円滑に進められそうな言葉であれば、
その生徒の授業との間だけで積極的に使います。
同じ言葉を共有するだけで、人間はかなり理解しあえると思います。
また、原始時代から
もともと言葉の発展もそのようであったのではないでしょうか。

(明日に続く)[手(パー)]

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